綺麗なスーパーとそうじゃないスーパーとパノプティコン

「ボロいほうのスーパーの方が好きなんですよ」と彼は言った。買い物へ向かう途中、たまたま会った友人とスーパーへ向けて歩いている時、その友人が言った。
家の近所には2軒スーパーがある。
1軒はちょっとした高級志向で店内の照明は明るく客が通る通路も広めにとってあり床は綺麗に磨かれている。

もう1軒はあまり所得の高くない客層向けで、照明は暗め、床はくすんでいて、通路も狭い。駐車場は広いが照明が少ないためにあちらこちらに暗がりが出来ており、ヤンキーが溜まったり暗色系のビニールジャンパーを着た老人達が酒を飲んでたむろっていたりした。吹き溜まり、といった表現がそのスーパー 一帯は似合う。

だからだろうか、パトカーが来るのをよく見た。トラブルが起きやすい所なのだろう。

その一方で、飲屋街であるそのスーパー近辺の住人のちょっとした居場所になっている面もあるらしい。ある1人の女性店員がいて、その人はよく、高齢者の客とちょっとした会話を交わしている。もちろん業務に支障が出ない範囲で、レジに品物を通してる途中だとか、品物の場所を案内した後だとかに一言二言、お互いの無事を確認し合うように言葉を交わす。

別に友人はこの辺に住んでるわけではないので、そこらへんのことを知ってて言ったわけではないのだろうが。まぁ確かに、ボロい方のスーパーには独特の湿っぽさと居心地の良さみたいなものがある気がする。

綺麗なほうのスーパーは、綺麗で明るい分、隅々まで監視が行き届いているというか。誰かがフーコーの「監獄の誕生」を引き合いにだして、デパートは監獄と一緒だ。客に買い物をさせるために隅々まで店員の視線が行き届くような作りになっていて、中央の吹き抜けはパノプティコンと同じ役割を果たしているんだって言ってたっけな。それともフーコー自身が言ってたんだっけ。忘れたけど。なんかそんなこと思い出した。