ツイート リューシカリューシカ 子供の頃の世界 偉そうな予備校講師 帰る場所 ありえたかもしれない世界 とか
娑婆にでりゃあ四方八方からいつ刺されるかわかりゃしないってもんです。無意識に発した発言が誰かを傷つけ、自分もまた誰かに傷つけられる。それでも生きていくには、絶対に安心だとわかっている場所が必要だと思うんです。帰る場所のない放浪はただの徘徊です。地に足がついてこそ意味のある
— pinza0604 (@pinza0604) 2013, 12月 5
旅になるのだとおもいます。
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こないだ予備校講師が生徒に「お前性格的に医者になる資格ないよ」っつってんのを聞いたんですが、最終的に受験するかどうか決めるの生徒本人だし、合格するかどうか決めんのはテストと面接の点数と大学の教授(ですよね?多分)だろと。貴方は何様のつもりなんだと思いましたね。
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めげるな生徒。あなたの将来を決めるのはそいつじゃない。
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地元を舞台にした小説を読むのは面白い。その場所で「ありえたかもしれない物語」を読むことでイマジネーションが刺激される。周りの見知らぬ人間のストーリーを想像したくなる。
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風車祭(カジマヤー)はカフェで読んだんですが、読みながらなんか、周りの客はどんなストーリーを背負ってるんだろう、みたいな。
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あと、読んだ後、街の風景も変わってる気がしますね。小説を読む事で、細部に物語を見出そうとしてるっていうか。風景から取り出せる情報が拡張されたかんじ。
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古本で買ったんだけど、途中の濡れ場のページが開きやすくなってるwww
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リューシカリューシカ、面白い。なんつーか、子供の頃は、夏で陽射しが強い時、めちゃくちゃ緑が濃ゆく見えるときあるじゃないすか。それが子供の時に見たのは強烈な印象をもって今も覚えてる訳ですが、それはやっぱなんか今大人になってから見る真夏の正午の緑とは違う訳ですよ。
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何なんでしょうね、あれ。子供の時だけに感じる、特有のクオリアみたいなの。不思議ですね。
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もしかしたら小説を読む事で、小さい時に感じていたクオリアを取り戻すことが出来るのかもしれない。
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あと子供の時の世界観って独特ですよね。今考えると、なんで怖かったのかわからないものが怖かったり。幼稚園の時、兄がpc版のバーチャロンにハマっていたんですが、それのラスボスのロボットがめちゃ怖だったんですよ。何故かあのロボットがウチに来て家を破壊するっていう妄想が止まらなかった
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ですね。んで泣き出して親に訳を話したら、笑いながら親が慰めてくれるっていう。
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まぁ、なんつーか身の回りのありとあらゆる情報が一種の痛覚をもって感知されてたってカンジなんですかね。小さい頃は。大人になると、多分、慣れてきて、痛みを感じなくなる。
それを思い出させてくれる作品だった。
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ただまぁ、小さい時は感度が強いって言っても、見ている世界は家から半径数十メートルで。(そんな狭い世界であれだけの刺激を受けるってのがスゴイではあるけど)
やっぱ行動できる範囲は大人の方が広い。出会う人間の種類も、大人は子供の桁違いだ。
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