サン=テグジュペリ 夜間飛行

時は航空産業黎明期。ライト兄弟が空へ舞い上がった1903年から第一次世界大戦を経てわずか数十年後。航法技術も未だ未発達で頼りになるのはまず何よりパイロットの肉眼であり、おまけ程度のモールス信号送受信機が地上との唯一の命綱であった頃。
もちろん夜間飛行なんて命を顧みない無謀な行為であるし、それを定期便として運行するなんてもってのほか。

しかし主人公航空会社社長これはビジネスチャンスだと郵便輸送夜間定期便を、これは操縦者の命を危険に晒す無謀な行為だという識者知識人からの反発を押し切って、運行開始する。
「昼に稼いだスピードを、夜間に船と鉄道に追い越されるならば、飛行機のインセンティブは無い」

血も涙もないように周囲から見られる社長であったが、内心誰よりも社員らを愛しているという秘かな自負があった。
天候の是非に関わらず出発時刻に遅れた場合はひとつの例外なく地上作業員を罰し、悪天候で飛行を中断した操縦士に冷たい言葉を投げかけ、ミスがあればそれが例え創業当時からの古株整備士であっても情け容赦無くクビを切る。

「私は人を罰しているのではない。彼らの背後から忍び寄る過失を退治しているのだ」

社員には毅然とした態度で相対し決して馴れ合わず、自身に対してはガタのきた老体に鞭に鞭うって事業に邁進する。社長の脳裏には、古い石造りの寺院に隙間隙間に入り込み、しまいには寺院を朽ちさせ破壊するというツタの姿が鮮明に浮かびあがっていた。
社長にとって事業とはこのツタのようなものである。偉大なる生命力をもってしまいには堅牢な建造物をも破壊してしまう生命衝動そのものであり生き物、それが社長にとっての事業であった。いわば社長をふくめた社員全員のは、事業という名の偉大な生命を駆動するための部品であり生贄であった。

しかしある夜一機の飛行機が夜の嵐に巻き込まれ、無線は断絶、機は進路を見失い、地上は安否を巡って右往左往する。騒然となった事務所に現れたのは遭難した操縦士の妻。面談と説明を求められた社長はこれまで自分が拠り所としてきた価値観と全く相容れないいわば家庭的で母性的なエトスの具現者であるうら若き妻を眼前にしてなにを思うか。





宮沢賢治と並べて本棚に置かれることの多い「星の王子様」で有名なサン=テグジュペリヒューマニズムに溢れたひとというイメージで、どちらかというと世俗の仕事にあくせくする大人を横目に、そんなものよりも大事なことを言って聞かせるイメージだったのですが、そのぶんこの「夜間飛行」には驚きました。

訳者曰く、サン=テグジュペリはこの二面性が魅力的で、「夜間飛行」のあと「闘う飛行士」を経てこの騎士道精神とも呼べる勇気と行動力に満ちた作品が洗練されていき、他方「南方郵便機」から「星の王子様」、「人間の土地」を経てサン=テグジュペリのロマンチシズムで無垢、純粋な作風が確立されていくらしい。

ヒューマニズム溢れた博愛主義者のイメージが強いと先に述べたけれども、実はサン=テグジュペリの作品を読むのはこれが始めてで、「星の王子様」は小耳に挟んだイメージでしか内容を知らない。

それにしてもこの、水と油のような、相容れない価値観、作風はこの人のなかにどうやって共存していたのだろうと思う。人間の内面は、たぶん、俺が思ってるより複雑で、奇怪で、深い。
作品を読み解いていけば、そんな複雑怪奇な人間の内面を、一端だけでも覗き込めるかもしれない。この人の作品を攻略していくのが楽しみになった。

石灰の島

基礎工事の始まった建設現場。地表を数十メートル四方に渡って表面から削り取って行く。数日も経てば鉱石の採掘場みたいな、段々畑状の光景が、その地層を露わにして、出来上がる。珊瑚の死骸が永い時間をかけて積み重なり、石灰岩となる。地殻変動が起こり、それが海上にせり上がる。そういう経緯でできた島の土壌は痩せていて、乾き、白い。肉体労働のわりにでっぷりと太った作業員が重機の行方を見守っている。数mも掘れば、痩せて乾いたこの島の土壌は、ゴロゴロとした石灰岩を露わにする。煤けた黄色い重機が狂ったようにシャベルで岩を殴り続けている。偏執的に繰り返される衝撃音は、生活に疲れきった人間が、閉塞的な状況のなかでしばしば発揮する、ヒステリックな破壊衝動に似ていた。脂を顔にべっとりと浮かせた作業員が、他になにするでもなく、その埃のういた皮脂を西日にてらつかせながら、今まだ偏執的にアームの上下を繰り返す重機を、口を開けたまま見つめている。重機が狂ったように泣き叫びながら、何かを訴えようとして岩を殴り続ける。救い様のない打撃音で工事現場一体が満たされた。薄汚れたコンクリートの家屋が憐れむような視線で、ことの成り行きを遠巻きにじっと見守っている。埃っぽい空気に夕陽が差し始めた。





遠くに煙突が見える。黒くたなびく煙が絶えることなく吐き出され続ける。夕暮れ時が過ぎ、空が、べったりと甘いマーマレードのようなオレンジ色から、辺り一体を包み込むような、深い黒紫色に空が変わりつつあるのに、その煙突は、まるでその日の島の排泄物を、その日のうちに帳消しにせんと、島に唯一のその煙突は、奮闘し、いまだその日の住人の、浪費の尻拭いをし終えてないのを焦ってか、いまこの島が包まれようとする、幸福な静寂を振り払い、生真面目な顔して、僕らの汚れた尻を拭う。生真面目で素朴な片田舎の煙突に、片田舎に似合わない重労働を強いる、われわれの消費行動は、とうてい身の丈にあったものとは思えない。僕らは何かを生み出した気になっているが、その実、その日の基礎代謝の老廃物と、余計な消費の排泄物を、ひり出すだけの存在に成り下がっているのかもしれない。あんな消費だけの黒い煙より、何かを生産するぶん化学工場の白いモクモクとした煙のほうが、何倍かマシだ。尻尾がズタズタに裂けた鳩が、煙突を背にして電線にとまった。






天井に吊り下げられた「大安売り」のポップ。下品さを振りまく。棚から溢れそうになるくらい大量に陳列されたシャンプー類、スナック菓子、聞いたことのないメーカーの家電製品、嘘っぽい香りの芳香剤。めきめきと太った女が、商品の雪崩れてきそうな狭い通路を、ゴミ屋敷のゴミのように脂が堆積し硬くなった身体を、虚ろな眼をしながら運んで行く。ガサガサした茶髪の女が、不必要にデカイ声で電話をしながらレジを待っている。ネズミ色したスウェットで隠された身体、浮かび上がったはシルエットは、これまた同じように、めきめきと太り始める兆候を見せていた。
モノだけはたくさんある。余るほどある。おぞましいほどの物資に埋れたその店内は、騒々しく、愚鈍で、無知で、貧しかった。建設現場で露わになった、あの埃っぽくて乾いてて、石灰の塊がごろごろした、痩せきってて貧相な島の土壌の一角を、あたかもこの島の一側面を体現したかのようなその土を、連想した。







夢をみた。この島にあるはずのない、石灰岩の台のうえに薄っぺらい土で覆われたような、山と呼べるような土地の起伏のないこの島にはあるはずのない、川を探しにいく夢だった。

「ある筈ないだろう」
10数年ぶりに帰省した折、小学校のときの同級生に誘われて、幼少のころに探検した、彼らがいうには俺と探検して見つけたらしい、川を探すことになった。
「覚えてないの?マジで」
「ないない。そんなん見たことも聞いたこともないしさ。だいいち山がないこの島に川なんて流れてる筈がないんだ。」
「よく言うよ。見つけたときお前が一番はしゃいでたんだからな。「釣りしたい!釣りっ」とかいって、みんなが水着に着替えてるとき、空気読まずにお前一人だけ釣り始めたりとかな。」
「覚えてん」

川は昔通った小学校の裏手、樹齢百年余りのガジュマルの生い茂る、鬱蒼とした林をこえた、そのまた向こう、狭い路地を抜けて行って大きな塀をこえたところにあるらしい。


半信半疑でついていく。ガジュマルから垂れ下がった暖簾のようなツタを藪蚊に刺されながら分け入り、石垣をこえ、雑草の生い茂り湿気でひんやりする路地を通り、用途不明の施設の裏手を抜けて行く。刑務所の塀みたいなコンクリートの壁が視界を覆い尽くす。それをよじ登る。途中下を振り向く。さっき辿ってきた路地が、遥か下方、その周りは、見渡す限りの森。落ちたら死ぬ。確実に。
手に血をにじませながら、なんとか頂上へと手をかける。よじり登りながら、清流の音が聞こえてきた。まさか。

滝。それも澄んだ透明な水が絶え間無く流れ出ている。
清流には瑞々しく光る、流れに洗われた岩石の数々が。子供達が泳いで遊んでいる。竿を出す大人もいる。
水を湛えたその一帯は、豊かで、瑞々しくて、潤っていた。






目脂がべっとりと、おまけに大量にくっつき、一部は乾燥していたため、眼を開けても暫く視界が白く濁ったままだった。相変わらず起伏のない、病室の白熱灯みたいな太陽が、これまた深みのない、のっぺりとした、古いコンクリート建築ばかりの街並みに降り注いでいる、そんな景色がいつものように窓から見えた。
ベランダに出る。建設現場ではようやく岩を取り除き、鉄骨がトレーラーで運ばれてきていた。まだ午前中でゴミの収集が終わっていないのか、煙突は静まりかえっていた。

目脂を掻きながら夢でみた滝のことを考える。あれは島への嫌悪が変化した、何らかのメッセージなのかもしれない。
清流、滝、澄んだ水、溢れんばかりの水。
石灰石のごろつく土地、土埃、貧しい土地。でっぷりと肥えた腹、銀紙にてらつくポテトチップスの油、脂と炭水化物の身体。
粗悪で質の悪い幸福で腹を満たす、飼いならされたような日常を抜け出したかった。見せかけの、物量ばかりは豊富な、ジャンクフードでやり過ごすようなそんな日々は、絶対に嫌だった。

倦怠と馴れ合いに満ちた、この島の時間は延々と循環する。島の人はそこに安寧する。
それだって幸福の一つには違いないが、そこから抜け出したかった。
虚ろな眼をしてスナック菓子をカゴに積み込む、あの女も幸福の一形態かもしれんが、それは嫌だった。

ここから抜け出すにはどうすればいいのだろう。工事現場の作業員を眺めながらしばらく物思いに耽った。

ちゃんとした人だと思った

近所のスーパーに行ったんですが、あいにく混んでいて、列に並んでレジ待ちしてる間なんとはなしに入り口の自動ドアのところで人が往来するのを眺めてたんすけど、そんとき入り口からおっさんが入って来たんですよ。スーパーにおっさんが入ってきた。それ自体はなんも特異なことじゃない。ところがおっさん、よく見ると着ているシャツが、黒いゴミ袋だった。
なんかあのー、散髪代浮かすために自宅でちっちゃい子の髪を切るとき、即席のカバー?こうビニール袋の一部を切り取ったのをアタマから通して子供に被せるじゃないですか。あんなかんじ。で、おっさんのはちゃんと腕のとこも通せるようなってて、ノースリーブのシャツなってた。わりと完成度高い。遠目から見たらゴミ袋って気づかない。サイズもピッタリ。

で、おっさんがそんな服?服じゃないけど、そういうのを着てスーパーに来る文脈というか、どういう事情があってそんな格好で御来店なさるんだ全然検討つかんくて  一瞬思考回路がショートしたんですけど、この手作りの服、そういや見覚えある、これ幼稚園とかのお遊戯会で着るやつだ。
なんかあるじゃないですかお遊戯会で着る手作りの衣装みたいなの、保母さんと一緒になって園児が教育の一環として作るみたいなやつ。そういやちっちゃい頃俺もつけたことあるわそういうの。で、おっさん50くらいの、髪は灰色で肌が浅黒いんだけど割と優しそーな顔つきしてんの。あぁなるほど、この人は園長さんだ、たぶんスーパーの近辺の幼稚園かどっかに勤めててお遊戯会の練習中になにかしら購入すべきもんが出て来たから慌てて買いに来たんだろう。工作に使うガムテープとか。
で、おっさん、つつーっとレジの先にある購入した商品を客自身が詰めるコーナー?があるじゃないっすか。そこに向かってって、そういう場所にはたいていレンジが備え付けられてるじゃないすか、で、レンジのうえにパックの牛乳が置かれてるんすよ。1000mlの。で、おっさんはそれに相対して、牛乳に十文字切って、なにかしらのお祈りをしたのち、その牛乳をラッパ飲みした。

あぁ違うわ。普通にただの頭おかしい人だったわ。なんかスーパーで買った牛乳に常人以上の意味を見出してあげくの果てにスーパーの一角に勝手に聖地を作り上げた人だ。たぶん聖地巡礼のためにスーパーに戻って来たのだろう。


なんかねーこの時に感じた寂寥感は、中1のとき友達ん家に勉強しにいったら、そいつの高校生の兄ちゃんが絡んで来てすげー得意げに三人称単数とかの説明しだしたりして、でも中1なんで素直にすげーって思うじゃないですか、で、年下の子達から滲み出る「この兄ちゃんすげー」みたいな雰囲気をその高校生のにいちゃんは感じ取ってか、さらに饒舌になって先輩風ふかすじゃないですか。「英検も3級だしな」とかいって。で、3年後高校生になって英検3級がいかほどのほのか改めてわかってから、そのにいちゃんのことを「英検3級だしな」の得意げな顔とともに思い出した時の、あの感覚。あれ。

祈り

「あの、すこしお時間よろしいですか?」
「は?」

不意に声をかけられたのは、ガラス戸の鍵穴にカギをいれようと苦戦していたときで、築40年はあるであろう祖父母宅の鍵穴は旧式で、カギをはめ込むのにもコツがいるのだった。鍵穴にカギを半分突っ込んでぐりぐり廻し、うまくハマる角度を探り出す、そういう作業に没頭しているときに不意に声をかけられたのだからつい変な声が出てしまった。

後ろを振り向くと、緑色のベレー帽をかぶり白いブラウスとベレー帽と同じ色した厚手のスカートをつけた15,6くらいの少女がふたり、ふたりとも明るい色のしたフレームの眼鏡をかけていて、髪も同じようにロングの髪を後ろでひとつに束ねていて、似たような印象の顔つきをしていたが、片方はまるで外国人のような栗色の髪をしていた。ふたりとも色素が薄く、クラスの中ではおとなしめな、声の大きくて幅をきかす中心人物たちとは距離をおいて接するような、そういう類いの子に見えた。

ふたりとも顔に薄ら笑いを浮かべてこちらをうかがっていたが、その表情は立場の弱いものが誰かにおもねるときのそれに近く、口角は緊張しきっていて眼にも不安の色が窺えた。
栗色の髪のほうが、卑猥な視線の注がれてるのを感じとったのか、半歩ほど後ろに引き下がる。こちらも慌てて視線を逸らす。じりりと砂利のこすれる音がした。

「あのー、すいません」
声がしたのは少女たちのほうからではなく、遥か下方の、もっと手前のところからだった。
小柄な初老くらいの女性が胸もとのあたりから、卑屈な笑みを浮かべながら、覗き込むようにしてこちらをうかがっていた。人畜無害そうな、だけれどもそういう人間が往々にして身にまとってしまう、自分の意志が虚弱なことから引き寄せてしまう、ある種の図々しさ。そういうのが婦人の物腰から伝わってきた。

「いまお時間よろしいですか?」
「えぇ」
あぁ、宗教か、と合点がつく。学校の制服にしてはいやに生活感のない、少女らの制服はおそらく宗教団体の制服なのだろう。
とくに急ぎの用事はないのだし、せっかくだから、からかってやろう。

○○教ってご存知ですか、と婦人が説明する。
この世はいま悪魔のはびこる時代の真っ只中で天地創造した神様はこれを悲しみ救済の力と教え託した預言者をこの世に降臨させそれがその団体の教祖で彼女らの使命はこの世を救うためにその予言者の教えを広く知らしめることらしい。預言者の不思議な力をもってすれば病気の治癒や人間関係の改善も可能で、婦人は教祖のもとで修行を修めておりその不思議な力の一部を託されていて人々をその力で悪魔から救いだすために各地を周っているらしい。女の子たちは修行を開始する前の研修のようなものとして付き添いを命じられているという。

平日の昼下がりに、女の子たちは学校はどうしているのだろうと思っていると

「これが本部の所在地」
と名刺を差し出してきた。飛行機を使わないと行けないようなところだった。



婦人によると、修行さえすれば誰でもわりと簡単に力を行使できるらしい。怪我や病気を治したいのなら患部に手をかざして念を込めるだけでいいのだと。


あなたたちの神様は

ええ

こう、全知全能で、それこそ手をかざすだけで病気を治すような奇跡を起こす力をもっていて、世界の創造主なんですよね。

はい、そうです。

これは、あのー、キリスト教みたいですね。

あぁ、はい。似ていますね。

絶対的な存在の神がいて、で、預言者、キリスト教でいうとこのキリスト、イスラム教でいうところのムハンマドが、あなた達の教祖様で、三位一体説っていうんですか?そういうの。キリスト教にもありましたよね。

え?……えぇ、よくご存知ですねお詳しいんですか。




こういうのに無批判にハマる人は、高校倫理に載ってるような簡単な宗教の歴史とかさえ勉強しないのだろう。
そういう侮蔑の念を、彼はこの手の人間に対して持っていた。

どういう教えを説いているのだろう。もう少し詳しく知りたくなった彼は、正式な聖典などはないんですかと尋ねた。

「セ、セイテン?」
婦人は目をぱちくりさせて、くるりと彼に背中をむけて顎に手をやりながら「セ、イ、テ、ン……セ、イ、テ、ン…」とぶつぶつ呟きながら考え込み始めた。

○○とか、そうなんじゃないんですか、と少女のひとりが助け舟を出すと婦人は、あぁ!!と素っ頓狂な声を出すと同時にバネが弾けたみたいな動きで肩にかけていたバッグのなかに手を突っ込みセイテン、セイテンとまたぶつぶつ呟きながらゴソゴソやりはじめた。

「これ!!これね、○○(聞き取れず。漢字の多い厳つい名前)っていうんだけど、聖典っていったらこれかしらねー。」と小さな手帳くらいの大きさの本のようなものを半分バッグに入れたまま肩越しに見せてきた。経文のような文字が書かれてるのが見えたが、一定距離以上に近づけさせないようにしてこちらに見せてくるので、内容はよく見えなかった。手にとらせて下さいと頼もうかとも思ったが、婦人の振る舞いからそれが他人にベタベタ触らせることのできる類いのものではないことが察せられて、やめておくことにした。



「というわけで、私たちのはこういう教えなんだけど」
ようやく本題に入れるといった表情で婦人がこちらに向きなおす
「あなたのために、お祈り、させてもらえない?」

ちらりと少女たちを見る。相変わらずの曖昧な笑みでこちらを見ている。
すこし空を仰いでみる。白くもやのかかった空に飛行機雲が一筋、ちょうど真上を通り過ぎていくところだった。

「どこか病気とか、怪我とか、ないの?」
「ないです」
「じゃあ、とにかく貴方の幸せのために祈らせて」

わかりましたと承諾を告げるとすこし離れたところからこちらを見ていた少女らがこちらへと近づいてきて婦人と3人でぐるりと周りを囲んだ。
彼女らのいわく、祈りのあいだ、それを受ける側の人間のほうは祈りを受信するのに集中することが求められるため目をつぶらないといけないらしい。全身に祈りを受けるためにしゃがみ込む必要のあることも。
言われるままに目を閉じ、しゃがんで小さくなる。3人が何事か唱えはじめる。身体のあちらこちらに手をかざしている気配を感じ取る。



祈りを受けながら、彼は、祖父母のときから母に至るまで続く、宗教団体のことを思っていた。
彼の母の加入している宗教ーーー宗教とは名ばかりの、仰々しくて騒がしいだけの集団ーーーそのことを思い浮かべていた。
その宗教団体は戦後高度経済成長期のころ、都市部に大量に流入した農村からの労働者たちーーそういう人達は頼るところのない都市生活において往々にして孤立するーーそういう人達を吸収し肥大化してきた経歴をもつ。弱者救済を説き人間愛を唱え、あらゆる人間がその教義のもとに保護包括されることをその理念とする。孤立した都市生活者のなかにはそれが地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のように見えた者もいたに違いない。その宗教の特異なのは、極めて干渉的かつ攻撃的な入信勧誘の姿勢だった。鎌倉幕府の頃のある僧の説を笠に着たその姿勢は多くの人々に疎まれたが、同時に信者の勧誘活動の大きな原動力ともなり、そのしつこさに根負けして入信した人々も少なくなかった。

10年前に他界した祖父が、どういった経緯で入信したのか、仕方なく入信したのか、それともある程度の熱意をもって入信したのか、今では本人に聞く由もないし、かといって身内の誰かを通して聞くのもなんとなくはばかれた。この宗教団体の話題は彼にとって口にするだけでも癪にさわるものだったからだ。

何故だか知らないがこの宗教は世襲制で、子が明確な拒絶の意志を示さない限り自動的に入信となる。
親戚でもないのに月に一度ほどの頻度で家に訪れ、馴れ馴れしく話しかけてくる婦人たちーー幼少のころから疑問に思っていたそれらの人々の素性が宗教団体の信者だと知ったのは、彼が中学にあがってからだった。家族の誰も読まないのにが毎日届けられる、地元紙とは別の新聞がその宗教団体のものであることもその時初めて知った。他の家庭も当然のようにそれをとっているものだと思っていた。

誰も読まないその新聞は、教祖の近ごろ発展途上国で行った偉業だとか偉大なる仲間たちの成し遂げた業績だとか、信仰の熱狂具合だとか、そういうのを毎日毎日、まるで焦燥と強迫観念に駆られたみたいに、いつも仰々しく大袈裟に伝えてきた。長い歴史をもつ伝統的な宗教ならば当然持っているはずの、宗教的謙虚さは、政治団体のプロパガンダ広報みたいなその宗教新聞からは微塵も感じなかった。



18のころ、団体の地方支部にいって数珠と経典を授かりにいこうと母に誘われたとき、烈火のごとく反発した。彼は、憂鬱の穴倉のなかでお互いの傷を舐め合い、依存しあい、そしてそんな生き方を恥ともせず開き直るような、そんな信者たちを心底軽蔑していた。そして何より彼が軽蔑したのは、自分の頭で考えることのないような人間だった。烏合の衆であることに開き直り、誰かの考えをそのまんまトコロテンのようにその口から垂れ流すような人間ーーーそういう人間を彼は忌み嫌った。

彼がその手の人間を極端に忌避するのは、実は彼自身が、根本のところではそのような人種に近い性根をもっていたからかもしれない。
世界と一対一で向き合うことを放棄し、教義のなかの、偽りの安寧に安住し、集団にあぐらをかく信者たちーーーそんな彼等に、彼は自分のなかの卑劣さを見出し、また、心の底であわよくばその仮構の安寧に引き篭もり、惰眠を貪りたいと願っている自分を見つけたのだ。






ある試験の前日、実家から彼の一人暮らしのアパートへと出向き、彼の身の回りの世話などをした母が、明日の試験のために経を唱えるなどと言いはじめた。
彼は、やめろっ!!、と思わず大きな声を出しかけたが、それは喉の奥にひっこんでしまった。
手を合わせる母の横顔が、あまりにも澄み切っていて、犯してはならない神聖なものを感じとったのだった。







もういいといわれて眼を開けると、真っ正面に夕陽が目に飛び込んできて、一瞬なにもみえなくなった。
とりあえず立ち上がろうとしていると、それじゃあ、これでと彼女らは言い残し、視界が回復する間もなくあっというまに去って行った。
いちめん橙色の光、ひとり、ガラス戸。
しばらく夕陽をぼーっと見ていた。定規で引いたみたいだった飛行機雲が、水に垂らした白の絵の具みたいにその境界線をはるか上空の気流に溶かしていった。





鍵穴にカギを差し込みーー今度は一発で入ったーー少し重みのあるガラス戸を横に滑らせ、中にはいり、ピシャリと戸をしめ、鍵を閉める。

誰もいない静寂のなか、途端に憤怒の念がめきめき沸き起こり、体を支配した。

「ふざけるなよ。」

鍵を畳に叩きつけ、勢いのわりに情けない音が畳から発せられた。
ふざけるなよ
靴を脱ぎすて土間に上がり込みながらもう一度呟き、今度は台所の、フライパンを手にとり、ハンマーを振り下ろすみたいに思い切りフローリングの床に叩きつけた。次は鈍く、大きな音がした。フローリングがへこんだ。

憑き物が落ちたように近くの食卓の椅子になだれ込み、テーブルに突っ伏すようにして頭を抱え込んだ。沸騰したワインのような血が頭に上り、こめかみが締め付けられたようにひどく痛んでいた。

澱の底

花札のゲーム機がテーブル代わりの喫茶店。
来店するたびにいつも一昔前のポピュラーミュージックが流れている。親が聞いていたような。流れて来る音楽を誰が歌ってるかはほとんど知らないんだけど、知ってるのは松任谷由実くらいで、たぶんニューミュージックって枠でくくれるような音楽。

店員は50代くらいだろうか、女性で、なんとなく水商売の遍歴がありそうな雰囲気が漂ってくる。髪はバサバサで典型的なおばさん体型をしているのだけれども、化粧と佇まいから昔は美人の部類に入ってたのだろうなと感じる。スピーカーから流れる歌を口ずさんでいる。
青春時代に固執してるのかもしれない。こういう、発展の見込みのない、気だるくて澱の底のような雰囲気は嫌いじゃないけど、そう考えると少しゾッとする。

俺の時代は、どう語られるのだろうかと考える。
同時代性とかにはてんで興味を示してこなかったけれども、今が永遠ではないことをこうやって見せつけられると、卑しく執着してしまう。

昼にスペアリブごはんを作ったのだけれども、ごはんといってもただ白米にスペアリブをのっけただけのやつじゃなくて、パエリアみたくフライパンで米を炒ってから炊くタイプの料理で、米を炒めるときにマーガリンを使ったのだけれども、マーガリンはホリデイマーガリンっていうアイスキャンディーみたく成形されたもので、これが一回で使い切るには多すぎて、次のために残してまた使うには少なすぎる残り具合で、結局一日分としても明らかに多すぎる量の脂を昼食で摂ることになってしまった。

そんなわけで全くお腹の空いてない状態で夕飯を迎えたのだけれども、母が出してくれたのは沖縄そば白身魚のソテー、それと昨日の残り物ののフライドチキンとかいう炭水化物とタンパク質で、弟なんかも「またそばかよ、、、」と不満気だったのだけれども、結局どんぶりいっぱいのそばを平らげてソテーはもちろんチキンも食ってしまった。

昼は大量の脂、夜は炭水化物どっさりと少なからずのタンパク質。
こうなるとボーッとしてくるのが脳味噌で、臓物は悲鳴をあげているのだけれども脳は歓喜してるというなんだか身体が二つに分身したみたいになって、今日はもうゆっくりすることにした。

大量の脂を摂ることでヒトは、麻薬的な多幸感を味わうらしい。だからラーメン二郎は熱狂的なファンが多いのだとだいぶ昔に友人から聞いた話を思い出していた。頬と額に浮かんだ皮脂をてらつかせながら語る友人の顔が脳裏をかすめた。

暴力

社会に参加するっていうことは、大人になるっていうことでもいいけど、どの暴力を肯定するかを決断することなのかなと思う。

就職試験や入学試験が典型的だけど、あれに受かるってことは代わりに誰かが落ちてるってことだ。俺に食われるために殺された鶏みたいに。

とても嫌だった。自分の席を確保するために蹴落とさなければいけないのが。それを是としてエールを送ってくる世の中が。蹴落としたのを見えないフリして"成長"だとかの言葉で誤魔化す同年代や大人が。

生きるのは業が深いことだ。生きているだけで業は深まっていく。生きるためには誰かのいのちを喰らわなければいけない。席を確保するためには誰かを除けなければいけない。
今している努力が、勉強が、ただそれだけのためならば、じぶんの努力が結果的に誰かを惨めな思いにさせるのならば、なんのために努力しているのか。

生きているだけで業は深まる。
死にたくなければ悪人になるしかないのだろうと思う。
社会的に成功することとアイヒマンになることはシームレスに繋がっていて、黒に近いか白に近いかだけの違いであって灰色には違いないのだと思う。