ヌルッと前に進む

成長することに見切りを付けた自分が前へ進むためにはどうしたら良いのだろうと考えている。昨日も書いたけど、童貞だった頃は女性ってのは未知の存在だからその分それに向かって純粋に突っ走れるけど、一度「こういうものか」とわかってしまうとなかなかそうはいかない。全く同じことが今の俺の状況にも言えてて、ガムシャラな努力は俺を幸福にするとは限らない。むしろ俺を破壊することもあるとわかってしまった。自己責任だと周りの人々は言う。全くその通りだ。後先考えずに浮き足立った状態で必死に努力したつもりでもただ物凄い勢いで空回りするだけだ。なんかもう疲れた。こういう努力の仕方はよくない。これまではさ、そうやってなんとかやってきた面もあるけど、もう駄目だ。このやり方は通用しない。無邪気に突っ走れる童貞パワーは俺にはもう残っていない。見方を変えれば少し賢くなったとも言えるが。

今の俺は頑張ってはいけないのだと思う。じっと待つ時なのだとおもう。もう無理は効かない。もう頭の悪い突っ走り戦法は出来ない。身体も頭も受け付けない。拒絶反応が出る。行き詰まりだ。

妻を亡くし独り身の老人がこれからどう生きればいいのだろうと自宅で絶望感に打ちひしがれている時に自室の部屋を掃除し、たまたま昔の恋人(妻では無い)の写真とその文通の手紙を見つけ昔の恋を思い出し、昔の思い出に生きることがこの絶望感を抜け出す方法なのだと悟るっていう筋書きの小説を前に読んだ。
悟った時の描写が

身の回りを取り囲むねっとりとした絶望が溶け出し、遠くに一筋の光が見え、さっきまでの閉塞感が嘘のようにヌルッと前へ進むことが出来た。

的な感じだったと思う。ヌルッとは言ってなかったとおもうけど、絶望感と閉塞感を突き破るシーンとその感触みたいなのがわりかし印象に残ってる。なんつーかそういうブレイクスルーみたいなのが必要な時っていうの状況があって、今まさに俺がそうなんだけど、そういう時ってだいたい閉塞感とか、未来に希望が持てないだとか、先の見通しが立たないだとかだと思うんですけど、そういう時に無理して頑張ると逆に悪化することって多くないですか?そういう時に必要なのって、お爺さんが見つけたような一種の救いだと思うんですよ。それは過去を振り返る中で見つけたり本を読んで先人に学んだり趣味に没頭したり友人と会話することで得られるんじゃないかなぁと思います。一旦立ち止まる必要があるのだと思います。頑張っちゃいけないと思いますね、こういう時は。


「神は細部に宿る」って言葉が最近のお気に入りで、頑張らなくなった現在、昔よりも色んなもんが落ち着いて見れるようになったなぁと思います。今は実家に帰ってて、実家には二匹の猫が居るんですが、その猫の毛並みが美しく感じるんですね。落ち着いて周りを見渡せるようになったのだと思います。忙しかった、というかとにかく空回りしてた時期は、ズボンひとつとってみてもそれを畳むときだとかはとにかく時間が無かった(無いと思い込んでいた)ので、とりあえずテキトーに畳んでいたもんですが、ここ最近はポケットの中身だとかシワだとかにきちんと気を回してちゃんと手入れするようにしています。

生活がきちんとしていないとどんだけ努力を積み重ねても土台がぐらついているのでガラガラと崩れるんだと思います。いくら努力をしたつもりでも、浮き足立ったそれでは意味が無いのだと思います。

ふわふわした足取りがちゃんと地面についた時、ヌルッと前へ進むきっかけが出来るんじゃないかなぁと思います。