カーペットの上で

もうクリスマスか

イルミネーションで彩られた広場に差し掛かった時、彼が呟いた。言い方のカンジと言葉尻に含まれた微かな溜息からそれがキラキラした照明と広場の雰囲気に浮かれて出たセリフでは無いことがわかる。彼は独り身だ。

「1人で見るイルミネーションも良いもんですよ。自由気ままに見られるし。」

私は決して自分自身を慰める為にそう言ったのではない。心の底からそう思ったのだ。1人は、自由でいい。楽だし。

「1人は、もう飽きるほど楽しみました。」

独り言のように彼は呟く。彼は私より10歳年上だ。







家に帰り、机に向かう。参考書をしばらく読むが行き詰まりを感じ、1時間ほど読んでやめる。カーペットの上に新聞紙とチラシが乱雑に置かれ広がっている。昼に読んだのをそのままだ。なんとなくスーパーのチラシに目を通す。
クリスマスパーティ向けの惣菜が写っていた。甘辛いであろう茶色いソースのかかったスペアリブとローストチキンレグが目に入る。その下に敷かれているのは、申し訳程度のレタスとアルミホイルの皿だった。

風呂場の換気扇の音だけが響いている。

チラシの上の、永谷園のすし太郎のパッケージ。男の子が幸せそうに無邪気に笑っていた。







「お父さんの酒癖の悪さは、もう諦めているよ。アンタには悪いけど、お父さんは私にとって結局他人だし。でもアンタは私の子供なんだからーー」
空港に向かう車の中で、母からの説教は私の耳を右から左へ通り抜けていった。昨日の夜、父と飲み歩いた後、家で嘔吐した。

そうだ。母にとって父は他人でしかない。しかし私もまた将来は母を失い、母胎から脱し、父にならなければいけない、いや、別に絶対に家庭を持たなければいけない法律なんてないんだけど、将来の私は家庭を持たざるを得ないだろう。独りであることを40、50まで続けている自信は、私には、無い。
無いから、"他人"である女と家庭を持ち、"所詮他人だ"と言われながら子供を養っていかなければならないだろう。






祖母は半ば強引にソファーに寝転ばせられ、毛布をかけられ大人しくするように強制されていた。
10分に1度は祖母が己の境遇を呪うのが聞こえる。何度も何度も"厄介だ"と呟く。
祖母がデイサービスに預けられた日、気分が軽くなっている自分に気がついた。"祖母が家にいないこと"で気分が楽になっている自分に気がついた。
人生の行きつく先は、こうなのかと、気が重くなった。







まぁ、でも最後だけに目を向けて、そこに行きつくまでの人生の旅に目を向けないのは勿体無いよね。その道中には素晴らしいもんがあるかもしれない。とカーペットに寝転びながら思った。
天井の蛍光灯は消しているので、机の上で光っているスタンドの光が目に眩しい。
1人の時間を誤魔化す術はここ何年かで心得た。書物の世界に没頭すれば、寂しくなくなる。書物を通して世界を覗けば、世界と繋がれる。私の境遇に関わらず、惑星は万有引力の法則に従って太陽の周りを周る。
チラシを手に取りカーペットに寝転んでから頭に浮かんだ一連の思考と過去の映像を書き起こそうと思ってiPhoneを手にとった。