文化資本がガリガリ削られる 努力とは無理をすることではない

ここ数年は無我夢中で頑張ってきたんですよ。元々俺はテレビを見る習慣がない人なんで、それが拍車をかけてますますテレビを見ることがなくなる。なんというか頑張る=無理をするって考えてた無我夢中モードの自分は無駄なものは極力削ぎ落とそう削ぎ落とそうとして、だんだん自分を追い詰めて行ったわけですな。情熱が外に向いているうちはまだいい。情熱に身をまかせてどんどん進む。ところが一度何かの拍子で躓いたりしてみろ、そのベクトルは自分の内側に向き、それは自己破壊衝動となる。もともと無駄をそぎ落として精神的な余裕と文化資本をガリガリ削っている身だ。もう目も当てられない。心の僅かなひび割れがバキバキと音をたて大きな谷間を作る。心に出来たデカイ隙間はブラックホールの様に時間を吸い取る。俺に残るのは虚無と粗悪な暇つぶしツールだけだ。
蟻とキリギリスの寓話がありますが、蟻の様にガムシャラに努力し働けば幸せになれると思っていた時期が私にもありました。自分をガリガリ削る努力の果てに何がある。その果てにあるのは"虚無"だ。4年前の自分に知らせたい。ガリガリ努力するばかりじゃなくてカルチャーにも触れろよ馬鹿やろう。


最近やっと建て直して来た。なんだかんだいって良質なテレビ番組は面白い。生の情報をある程度調理して食べやすくして俺に与えてくれる。eテレのスイッチと妄想ニホン料理を見たが面白かった。料理を作り、酒を飲む。安心する。心の隙間はふさがりつつある。