気が狂う程 まともな 日常

血圧が高くて押し付けがましいポジティブさを持ち、やたら好戦的な人間が嫌いだ。

私は、どこにでもいる凡夫だ。
そんなポジティブさなんていらない。

ポジティブ思考で自分を変える!!(≧∇≦)☆とかさ。いいよ、そういう、なんか、気持ちだけ空回りしてる、アレ。

別に、何かを極めることは否定しない。
だけど、何でもかんでも勝つことに執着するような人間にはなりたくない。
生きていく上で、勝つことは、目的ではないと思っている。
自分が特別な人間で無い事を認めたくないが為にそういう、夢を見させてくれそうなものに魅力を感じているのではないか。
虚しさを直視出来ないからそういうものに縋り付くのではないか。

いくら勝負に勝ち、承認欲求を満たし、立派な肩書きを得て、毎日スリルのある生活を送っても、こころの隙間は埋まらないんじゃないか。

じゃあお前は何がしたいんだっつわれたら困るんだけどさ。
強いていうなら、何も、なんでもない日常を、淡々と。

淡々とした、代わり映えの無い日常を受け容れられるかどうか、自らの生を受け容れられるかどうか。
代わり映えの無い日常の中に、面白味を見つけられるか。
そういうのが大事なんじゃないか。

話は私事になるが、私は、ロンドンのダンヒルの店で、何の特徴もないが、古風な、如何にも美しい形をしたライターを見付けて買ってきた。書斎の上に置いてあるから、今までに沢山の来客が、それで煙草の火をつけた訳だが、火をつける序でに、よく見て、これは美しいライターだと言ってくれた人は一人もない。成る程、見る人はあるが、ちょっと見たかと思うと、直ぐ口をきく。これは何処のライターだ、ダンヒルか、いくらだ、それでおしまいです。黙って一分間も眺める人はない。詰まらぬ話をするなどと言わないで下さい。諸君は試みに黙ってライターの形を一分間眺めて見るといい。一分間にどれ程沢山なものが眼に見えて来るかに驚くでしょう。     小林秀雄


最近そんなことを思っている。