親父が発展途上国ボランティアにいくかもしれない

題名のとおり。べつに耄碌して一昔前の意識高い系のようなことを言いだしたわけではない。あくまで仕事の一環。

仕事の一環とはいえ、親父のこれまでの仕事で培ってきたものが試されるようで、とても嬉しそうだった。俺も嬉しい。

そもそも俺みたいなゴミクズ産廃クソゴミ未満の失敗作を食わせてくれるために定年まで頑張ってくれているので僕的には親父に少々でない後ろめたさを感じているのでこのように親父のいままでの苦労を認めてくれるような機会が与えられたのは自分の後ろめたい経歴も手伝ってすごい嬉しい。

親父はいまある施設の元締めみたいなものをやっているのだけれど、僕に似た偏屈な性格で周囲の人間を動かすというのがものっっそい苦手だ。理屈さえ通っていれば周りは動いて当然だと思っている節があるし、周りが動かなければもう俺がうごいたほうが早いと当該業務の資格を取得しようとするぐらい周囲の人間を動かせてないしそれを反省することもない。

とはいえそれはそれで生真面目さの裏返しではあるし、なんやかやそれに気が付いている人にはついていく人もいるみたいで家族としては感謝しかない。

リーダーってのは自分で動かずに人を動かすのが仕事ってのが世間一般の意見だけど、親父には親父の闘い方があるし、そうやって自分を貫き通すってのもそれはそれで立派な闘い方だ。

ぼくはいま人間未満のクズでしかないからこうやってブログで大言壮語の評論家語を吐きだすことしかできないよ。ごめんね。

いつか僕が真人間になったら、親父の仕事の話を聞きたいんだ、親子としてではなく、対等な職業人として。

それまで長生きしてね。面と向かっていうのは恥ずかしいけど、気持ちだけは形作っておかないと僕の気が済まないからここに書いておくよ。