石灰の島

基礎工事の始まった建設現場。地表を数十メートル四方に渡って表面から削り取って行く。数日も経てば鉱石の採掘場みたいな、段々畑状の光景が、その地層を露わにして、出来上がる。珊瑚の死骸が永い時間をかけて積み重なり、石灰岩となる。地殻変動が起こり、それが海上にせり上がる。そういう経緯でできた島の土壌は痩せていて、乾き、白い。肉体労働のわりにでっぷりと太った作業員が重機の行方を見守っている。数mも掘れば、痩せて乾いたこの島の土壌は、ゴロゴロとした石灰岩を露わにする。煤けた黄色い重機が狂ったようにシャベルで岩を殴り続けている。偏執的に繰り返される衝撃音は、生活に疲れきった人間が、閉塞的な状況のなかでしばしば発揮する、ヒステリックな破壊衝動に似ていた。脂を顔にべっとりと浮かせた作業員が、他になにするでもなく、その埃のういた皮脂を西日にてらつかせながら、今まだ偏執的にアームの上下を繰り返す重機を、口を開けたまま見つめている。重機が狂ったように泣き叫びながら、何かを訴えようとして岩を殴り続ける。救い様のない打撃音で工事現場一体が満たされた。薄汚れたコンクリートの家屋が憐れむような視線で、ことの成り行きを遠巻きにじっと見守っている。埃っぽい空気に夕陽が差し始めた。





遠くに煙突が見える。黒くたなびく煙が絶えることなく吐き出され続ける。夕暮れ時が過ぎ、空が、べったりと甘いマーマレードのようなオレンジ色から、辺り一体を包み込むような、深い黒紫色に空が変わりつつあるのに、その煙突は、まるでその日の島の排泄物を、その日のうちに帳消しにせんと、島に唯一のその煙突は、奮闘し、いまだその日の住人の、浪費の尻拭いをし終えてないのを焦ってか、いまこの島が包まれようとする、幸福な静寂を振り払い、生真面目な顔して、僕らの汚れた尻を拭う。生真面目で素朴な片田舎の煙突に、片田舎に似合わない重労働を強いる、われわれの消費行動は、とうてい身の丈にあったものとは思えない。僕らは何かを生み出した気になっているが、その実、その日の基礎代謝の老廃物と、余計な消費の排泄物を、ひり出すだけの存在に成り下がっているのかもしれない。あんな消費だけの黒い煙より、何かを生産するぶん化学工場の白いモクモクとした煙のほうが、何倍かマシだ。尻尾がズタズタに裂けた鳩が、煙突を背にして電線にとまった。






天井に吊り下げられた「大安売り」のポップ。下品さを振りまく。棚から溢れそうになるくらい大量に陳列されたシャンプー類、スナック菓子、聞いたことのないメーカーの家電製品、嘘っぽい香りの芳香剤。めきめきと太った女が、商品の雪崩れてきそうな狭い通路を、ゴミ屋敷のゴミのように脂が堆積し硬くなった身体を、虚ろな眼をしながら運んで行く。ガサガサした茶髪の女が、不必要にデカイ声で電話をしながらレジを待っている。ネズミ色したスウェットで隠された身体、浮かび上がったはシルエットは、これまた同じように、めきめきと太り始める兆候を見せていた。
モノだけはたくさんある。余るほどある。おぞましいほどの物資に埋れたその店内は、騒々しく、愚鈍で、無知で、貧しかった。建設現場で露わになった、あの埃っぽくて乾いてて、石灰の塊がごろごろした、痩せきってて貧相な島の土壌の一角を、あたかもこの島の一側面を体現したかのようなその土を、連想した。







夢をみた。この島にあるはずのない、石灰岩の台のうえに薄っぺらい土で覆われたような、山と呼べるような土地の起伏のないこの島にはあるはずのない、川を探しにいく夢だった。

「ある筈ないだろう」
10数年ぶりに帰省した折、小学校のときの同級生に誘われて、幼少のころに探検した、彼らがいうには俺と探検して見つけたらしい、川を探すことになった。
「覚えてないの?マジで」
「ないない。そんなん見たことも聞いたこともないしさ。だいいち山がないこの島に川なんて流れてる筈がないんだ。」
「よく言うよ。見つけたときお前が一番はしゃいでたんだからな。「釣りしたい!釣りっ」とかいって、みんなが水着に着替えてるとき、空気読まずにお前一人だけ釣り始めたりとかな。」
「覚えてん」

川は昔通った小学校の裏手、樹齢百年余りのガジュマルの生い茂る、鬱蒼とした林をこえた、そのまた向こう、狭い路地を抜けて行って大きな塀をこえたところにあるらしい。


半信半疑でついていく。ガジュマルから垂れ下がった暖簾のようなツタを藪蚊に刺されながら分け入り、石垣をこえ、雑草の生い茂り湿気でひんやりする路地を通り、用途不明の施設の裏手を抜けて行く。刑務所の塀みたいなコンクリートの壁が視界を覆い尽くす。それをよじ登る。途中下を振り向く。さっき辿ってきた路地が、遥か下方、その周りは、見渡す限りの森。落ちたら死ぬ。確実に。
手に血をにじませながら、なんとか頂上へと手をかける。よじり登りながら、清流の音が聞こえてきた。まさか。

滝。それも澄んだ透明な水が絶え間無く流れ出ている。
清流には瑞々しく光る、流れに洗われた岩石の数々が。子供達が泳いで遊んでいる。竿を出す大人もいる。
水を湛えたその一帯は、豊かで、瑞々しくて、潤っていた。






目脂がべっとりと、おまけに大量にくっつき、一部は乾燥していたため、眼を開けても暫く視界が白く濁ったままだった。相変わらず起伏のない、病室の白熱灯みたいな太陽が、これまた深みのない、のっぺりとした、古いコンクリート建築ばかりの街並みに降り注いでいる、そんな景色がいつものように窓から見えた。
ベランダに出る。建設現場ではようやく岩を取り除き、鉄骨がトレーラーで運ばれてきていた。まだ午前中でゴミの収集が終わっていないのか、煙突は静まりかえっていた。

目脂を掻きながら夢でみた滝のことを考える。あれは島への嫌悪が変化した、何らかのメッセージなのかもしれない。
清流、滝、澄んだ水、溢れんばかりの水。
石灰石のごろつく土地、土埃、貧しい土地。でっぷりと肥えた腹、銀紙にてらつくポテトチップスの油、脂と炭水化物の身体。
粗悪で質の悪い幸福で腹を満たす、飼いならされたような日常を抜け出したかった。見せかけの、物量ばかりは豊富な、ジャンクフードでやり過ごすようなそんな日々は、絶対に嫌だった。

倦怠と馴れ合いに満ちた、この島の時間は延々と循環する。島の人はそこに安寧する。
それだって幸福の一つには違いないが、そこから抜け出したかった。
虚ろな眼をしてスナック菓子をカゴに積み込む、あの女も幸福の一形態かもしれんが、それは嫌だった。

ここから抜け出すにはどうすればいいのだろう。工事現場の作業員を眺めながらしばらく物思いに耽った。