暴力

社会に参加するっていうことは、大人になるっていうことでもいいけど、どの暴力を肯定するかを決断することなのかなと思う。

就職試験や入学試験が典型的だけど、あれに受かるってことは代わりに誰かが落ちてるってことだ。俺に食われるために殺された鶏みたいに。

とても嫌だった。自分の席を確保するために蹴落とさなければいけないのが。それを是としてエールを送ってくる世の中が。蹴落としたのを見えないフリして"成長"だとかの言葉で誤魔化す同年代や大人が。

生きるのは業が深いことだ。生きているだけで業は深まっていく。生きるためには誰かのいのちを喰らわなければいけない。席を確保するためには誰かを除けなければいけない。
今している努力が、勉強が、ただそれだけのためならば、じぶんの努力が結果的に誰かを惨めな思いにさせるのならば、なんのために努力しているのか。

生きているだけで業は深まる。
死にたくなければ悪人になるしかないのだろうと思う。
社会的に成功することとアイヒマンになることはシームレスに繋がっていて、黒に近いか白に近いかだけの違いであって灰色には違いないのだと思う。