眠れないから書く。


俺の住んでる地域は鉄道が発展しておらず、そのため自動車社会で特にバス路線網の発達が他の地域よりも凄い(らしい。他の地域知らないから伝聞でしかないけど。)今日はちょいと野暮用で遠出にバスを使ったんだけども、どうも最近「みんなでバスを使おう運動」みたいなことをやっているらしく、そのことについての車内放送が流れたんだけども、「バスを使って地域の空気を綺麗にしよう!」みたいなことを言っていて、俺はなんとなく「うん?」と思った。で、「うん?」9って思ったと同時に脳に浮かんだのが、オバマの大統領が大麻解禁に関して「俺も若い頃は吸ってたぜえ?」って発言した奴と、大麻解禁派が「大麻を合法にすれば大麻対策の金が浮く。」って主張してたこと。どうもバス推進運動の「バスに乗って空気を綺麗にしよう。」って主張と大麻解禁派の「お金が節約出来るよ」論が重なるものをイメージしたらしい。

何かを主張する時には素直に「俺は○○がやりたいんだ!!」って主張するやり方と説得相手に対して「○○をすればあなたにこんな利益がありますよ」みたいなやり方があると思うんだけど、じゃあ後者が本気で説得相手の利益であるところの△△に関心を持っているかというと必ずしもそうでは無い。大麻解禁派が「お金が節約出来るよ!」っつってたっていうニュースに思わず「いやいやお前は大麻が吸いたいだけだろう。」とツッコンでしまったのですが、それはそういう論の進め方に欺瞞を感じとってしまうからです。正直に大麻吸いたいって言え。

でもだからといって「なんか主張する時には自分の欲求を発表するだけにしろ」っていうことには勿論ならなくて、非当事者である人々を動かすにはなんらかの利益なりを提示しなくちゃいけないのはわかるんですが、"なんだかなぁ"と思ってしまうのですが、その"何だかなぁ"っていうのは多分、「騙された」っていう感覚に近いと思います。「誠実さがない」だとか「口先だけ」だとかいうのはそういうことなのかなあーと。

で、「バスに乗って空気を綺麗にしよう」ってのにも、「いやいや、別に空気を綺麗にするのが本当のところの目標ではないんでしょ?」と感じたのだろうと。バスに乗ろう運動がどこが中心になって行っているものなのか知らないんで本当のところはわからないんですが。




全然全く話は変わって、前の話とは全然関係ないんですが、最近「老けたなあ」と感じることが多いです。ツイキャスで「高校生を見たら自分がおっさんに感じる」って話をしたら「21でおっさんとかふざけてるのかてめぇは」みたいなことを言われましたが。若さの有り難みがわかるのは年をとってからだと言われますが21というなんとも微妙な、高校球児のようなフレッシュさはもうあり得ないが思慮分別のある大人として成熟しているわけでもない、中ぶらりんな年齢になって「確かにそうかもしれない」とおもうようになりました。「少年老いやすく学なり難し」ってのはよく言ったもんだなあと。阿保みたいに遊びまわって寄り道しまくりの男が21でそのことに朧げながら気づけたのは割と幸運かもなぁと思います。
祖父が72で死んだのでなんとなく自分もそのくらいに死ぬのだろうと考えているんですが、だとすれば生きるのはあと51年で、なんか割と人生ってみじけぇなと。だからといって明日から心を入れ替えて悔いのない人生を送れるかっつったらんなことないだろうけど。

若さの価値がフレッシュさだとすれば、それに対抗できうるのは豊富な経験に裏打ちされた成熟度合いだけだと思い、俺はそれが身につくだろうかと。