人間意外と死なないと思うがその一方で人間ってあっさり死ぬなとも思う。

そう思う。
環境の変化に合わせて考え方を変えないとあっさり死ぬ気がする。

漫画 鈴木先生 で、過去の経験に頼りすぎると死ぬみたいなことを言ってた。
嘘、死ぬとまでは言ってない。

人間意外と綱渡りなんだなぁと思う。危ない所をギリギリで歩んでるんだと。

働くことは嘘をつくことだって記事読んだけど、それは死なないための知恵だよねきっと。真面目すぎると死ぬ。正直すぎると死ぬ。多分どっかで誤魔化しが必要なんだ。生きるのには。
みんなギリギリで生きてるんだ。きっと。うん。

それにしても行動する気力が起きない。これはあまりにも行動に意味を求めすぎた結果か。
考え過ぎて動けなくなってる気がする。

中学生の時はさ、アタマのなか精子だし女性と付き合うってのがどんなもんかわからなかったから、それに向かって一つのことに没頭できたんだよね。
努力の末には幸福が待ってると無邪気に信じられてたんだよね。
ところがどっこい現実に「めでたしめでたし」は存在しない。
白雪姫は王子様と結婚した後に嫁姑問題を拗らせてネットで鬼女と化してるかもしれんし、桃太郎は持ち帰った財宝で爺婆があらん限りの美食を堪能し糖尿病を発症し若い女が爺さんに財産目当てで近づきそれが元で一家離散になるかもしれない。

無邪気に何かに没頭することができない。それは没頭した先に何があるのか見たくないから。絶望したくないから。
なんとなく努力したとしてもたかが知れてると悟った気になってるってのもある。それは人生をなめきった態度でもあるよなぁとは思うけれども。


21にもなってこんな思春期の中学生みたいなことを考えるのは私の見識が狭いからでしょうか。皆はどうやって生きて行ってるのでしょうか。どのように未来に希望を紡いでいるのでしょうか。

意外と人ってのはギリギリで生きていると思う。

立派に生きれない。ちゃんとしている人は一体全体私と何が違うのだろうと思う。
親もちょいと社会生活不適合者っぽいところがあるんで、遺伝でしょうが。
まぁ立派に生きれなくてもとりあえずどうにか生きていけるんだろうなぁとは思う。
別に立派なことなんて言えなくていいしさ。クズっぽい人生だけどそれはそれで悪くない。

バーティゴ(空間失調)だし、ロスト・ダイレクションだと思う。今の自分は。
自分の立っている位置がわからないし、どこに進んだらいいのかわからない。

まぁそのうちなんか見つけてどっかに進むんだろうなと思う。

意外と大人って思ってたより大人じゃねぇなぁと思う。俺の周りの大人がそんなんばっかなだけかもしれんが。
まあ一生そのうちときどきでのたうちまわりながら生きて行くんだろうなと思う。

特にブログに書くことも無い。無いからこういうふんわりとした話しか書けない。行き先が決まればなんか書くことも出てくるんだろうけどさ。
そういえば「視座を固めればブログは人気でる」って言ってた人がいるけど、俺は今のところ糸の切れた凧のような生き方をしているので、視点がぶれまくってんだと思う。
特に思うこともない。毎日何かしら考えてはいるがそれはある立場に立って考えたものではないとりとめのないもので少し時間が経てば脳みそからサラサラと溶けて行ってしまう種類のもので進展性がない。発展性がない。立場さえ決まれば積み木みたいにどんどん考えを積み上げていった何かしら立派なもんができるんだろうけどさ。
多分糸を繋がれるのが嫌なんだと思う。
ふらふらするのも悪くない。
まぁでもそうも言ってられないので遅かれ早かれ何かしら見つけて糸にかかるテンションにしないとなと思います。

どうなるんですかね。俺はこれから。

こないだ古本屋で地元の昔の(明治初期)犯罪とその裁判の記録を現代語訳したもんを読んだんですがめちゃめちゃ面白かったんです。むかしの人の息吹みたいなのが感じられて。面白かったですよ男女の仲のこじれが原因で男が女の家に放火したり、酔っ払った夫が妻に暴力ふるったんで妻が寺に逃げ込んだところ夫がその寺の住職にまで暴力ふるってしょっぴかれたり。しょーもないです。でもそれが面白いです。愚かだと思いますが人間臭いとも思います。

俺も、そういう人間臭い営みの中で生きて行くんだろうなぁと変な感慨が有りました。なんつーか百年近く前の人の営みに触れて感動すると同時に俺も百年後にそういう目で見られる営みの中に今生きているのだみたいな。

そう考えると気分が幾分マシになってきますね。
別に立派に生きれなくてもいいや。みたいな。

それにしても同年代くらいの人がブログで社会問題なんかを論じてると密かに危機感を感じますね。その一方で俺は何を書いてるんだ、みたいな。極めて個人的なことしか書いてねーじゃねーかと。
人に何かを伝えようという気持ちも無いし。
ただ、書きたいから書いてるだけ。
まぁそれでいいのかも。

あんま無理してデカイ主語使ってもおれが楽しくなかったら意味ねーし。
まずは自己満足が一番だな。うん。
今のところ社会問題より俺の内面の方が書いてて楽しいから書いてる。

あんま意識高く無いな俺は。それでいいのか。まぁいいんでしょう。

読んでて面白いのは血を吐きながらの内面告白なブログ。身を削りながら書いてるようなブログ。引きこもり体質の人が書くブログは面白いものが多いと思う。内向的(だとブログの文面から推測できる)な人が書くブログは面白いものが多いと思う。誰かの内面を覗くのが好きだ。ダメな人ほど面白い気がする。シンパシーを感じているのかもしれない。

ニュースを見る習慣が無い。興味を持つ分野のニュースなら見るが。時事には疎い方だと思う。あんま外部には興味無いんだと思う。

なるだけマイペースに生きたいと思っていて、そのためにニュースを見る習慣をつけないようにしている面はあると思う。人は情報が先にあるとその情報に従って行動するから、なんの情報が欲しいのか自分でもわからないままどんどん情報が飛び込んでくる状態を避けているのだと思う。情報に振り回されないように。
それだとマズイとは思ってるけどさ。世間に疎くなるし。疎くなれば仲間外れにされるかもしれないし。それは社会生活を営む上ではマイナスだ。


自分の身の回りのことを汚いことも小っ恥ずかしいことも嫌なことも全部(本当に全部ではないだろうけどさ)書いてるようなブログって匿名とはいえ純粋にすげぇなあと思う。世界と向き合ってんなあ、勝負してんだなぁと思う。
おれは勇気が無いので自分個人についてあまり詳しく書けずこういうふわふわしたことしか書けない。


まぁでも何かやりたい、やり遂げたいことがあったらちゃんと勝負しないといけないわけで、そこはネットもリアルも変わらないよなぁと思う。
ちゃんと自分の存在をかけて、世界と対峙しなくては駄目。
「物事に正面から当たれば自ずと取るべき道は見えてくる」みたいなことがこないだ読んだ漫画に書いてあった。刑務所の前。良い漫画だった。

日経LINUXを買ってインストールしてみたが使い方がよくわからない。ネットの繋ぎ方がよくわからないがなんかもうやる気ない。だるい。