傷害事件で逮捕された男のツイッターアカウントを見て
ツイッターからアシ 「クラクション鳴らされて刺した」と書き込んだ男を逮捕 - MSN産経west
つぶやきを見てそこから勝手に犯人の人物像を想像し、つぶやきの中に勝手に自分との共通点を見出して1人でモヤモヤしているだけですが、思うところあったので、、、
そういえばつぶやきで足がついた刺殺事件の犯人のアカウント見たけど、俺もあんななってたかもしんないなぁ、と思った。ちょいと過激なアレだけど、俺が人を殺さずに済んでるのは偶然でしかない。犯人がどんな境遇だったか詳しいことはわからないんで好き勝手には言えないんですが、
— pinza0604 (@pinza0604) 2013, 12月 26
間違えました。刺殺じゃないです。被害者の方は亡くなっていません。
俺もあぁいう、ストイックであるが故に自分と他者へ攻撃的になる精神状態に陥ることはたまにあります。「人は殺しちゃいけないよなー。」っていうのは、理屈ではない所で納得しているので人を殺すような衝動に駆られることはないんですが。ただ、それはたまたま周りの環境に恵まれてる、
— pinza0604 (@pinza0604) 2013, 12月 26
周りの人間に恵まれているから「人を殺しちゃいけないよなー。」って納得しているだけなので、周りの人間が、もう大嫌いでしょうがない奴ばっかりだったらどうなってたかわかりません。
— pinza0604 (@pinza0604) 2013, 12月 26
恐らく、周りから迫害されたり、馴染めない恐怖なんかをもってして、自己否定感を塗り替える為のストイックさに必要なエネルギーに転換してるのだと思います。多分、自分が嫌いでしょうがないんじゃないのかなぁと、それ故に周りに常軌を逸した潔癖さと清廉さを求めざるをえない精神状態
— pinza0604 (@pinza0604) 2013, 12月 26
犯人の極右思想は、強い自己否定感からくるものではないかと思いました。
に陥っていたのではないかと思います。まぁ本人と直接話したわけでもないので、自分の経験を犯人に投影して考えただけですが。
— pinza0604 (@pinza0604) 2013, 12月 26
俺はなんとなく、犯人はどうしようもない悪人だとは言い切れないです。思考が偏り過ぎた偏屈男だと断罪し、自分とは全く異なる人間だと割り切れないです。犯人のつぶやきを見ながら、どことなく自分を見ているような気にもなりました。ですから、あのような事件を起こしたのを、
— pinza0604 (@pinza0604) 2013, 12月 26
私はまったくの他人でありますが、なんか胸がしめつけられるなぁ、と思いました。
— pinza0604 (@pinza0604) 2013, 12月 26
一応言っときますが、別に犯人の考えに共感したわけではありません。ただああいう極端な思考になるのは、思考のベクトルこそ違いますが俺もたまにあることだし俺が人を刺さないで生きてこられたのは単に周りの人間に恵まれたからであって、そんなカンジで今回の事件をモヤモヤと感じている次第でござい
— pinza0604 (@pinza0604) 2013, 12月 26
自己否定感とかでモヤモヤしてのたうちまわってるのはこのブログもまさしくそうで、なんとなく他人事とは思えないのです。
もちろん、当たり前ですが、傷害は罰せられるべきです。
一つ前のエントリでも書きましたが、思想信条世界観を語るってのは、行動するためのエネルギーを引き出し、そのエネルギーは思考が極端であればあるほど大きくなるのであろうと、自分の経験からして思います。そういう時に、周りからの批判、反論がむしろエネルギーになるっていう状態になるってことがあると思います。マイノリティであればあるほど、世間から理解を得られなければ得られないほど、自分の世界観を頑固なモノにしていく。自分だけが己の理解者であるとどんどん頑なになる。そんな思考の最中は、強烈なパワーに溢れているような気になりますが、これは、一歩間違えると、マジでヤバイ状態だと思います。
自分の価値観に固執するあまり、それにそぐわない他人が許せなくなる。許せなくなり、危害を与える。あるいは、自分の世界を守るために、自分の考えは正しいのだと訴えるために、自ら命を絶ったりすることがあると思います。
自分の考えに固執し過ぎない、だけれども他人に流され過ぎずに自分の考えを持つ。つまり中庸が大事なんだというような毒にも薬にもならないところらへんが落とし所なんだろうと思いますが、言うのは易く、ですね。
俺もいつ道を踏み外すかわかりませんから。
まぁ、考えて揺らぎ続けるしかないのだと思います。