思想信条

盲目的にある考え方を信仰するようになった時、クリティカルな反論が提示されているにも関わらずそれにしがみつくようになった時、その先に待ち受けているのは破滅か、我が道を進んだという満足感か。

年をとると、物事を多面的に捉えるだけの体力がなくなり、思考が硬直化する。あるいは若くても接する情報に偏りがあれば、思い込みは強くなる。周りがおだてることで、さらに思い込みに拍車をかけ、暴走することもある。

出来るだけ揺らいでおきたいとは思う。

ただ、最後の最後、これはもう、理屈ではなく感覚的に譲れないって所は、多分、人間であるならば誰でもあって、そこに突き当たった時、もう逃げられないのだと思う。世界と対峙せざるを得ないのだと思う。その先に待っているのが何なのか、それはわからない。ただ、それが、その感覚に従うことが、天命であると思えた時に人は、道を前に進むことができるのだと思う。それが破滅への道だとしても。

これはもう譲れないという思想信条を駆動力にして前に進む時、人は「内側」を根拠にしているので、外側であるところの他人と衝突が起きるのは不可避なのだと思う。そしてそれは遅かれ早かれ誰でも進まなければいけない道なのだと思う。衝突を繰り返している内に、内側が変化し、外側と内側の両方を上手く統合し、破滅への道を避けることも出来るが、それが上手くいかなければ、内側に固執して破滅するか、外側を愚者認定して相手にすることを止め死ぬまで内側を足場にして孤独に戦い抜くか、そんな危険な、けれども生きる為に不可避の戦いなのだと思う。

自身の内側に足場を作らない限り、取り返しのつかない破局も無いが、他者と考えをぶつけ、それらを止揚することも出来ない。

自分の世界観が足元から崩れることは結構な恐怖だ。
でも、内側に足場を作り他者と衝突し刷新するプロセスを踏まないと、得られない世界ってもんがあると思う。
それをやるには体力と気力と時間が要るが。

そう考えると、人生って怖いなと思う。
自分の世界観に、崩れ落ちかけているにも関わらずその世界観に固執する余り自殺してしまった人を知っている。
おそらくそれは、最初は本当に些細な、ボタンを一個分かけちがえるような、そんな"間違い"だったのだろう。
自分の内側を強く信じることは、前に進む大きな力ともなり得るが、それが一転して己を破壊する強い衝動ともなり得るのだろうと思う。それは自分の経験に照らし合わせてみてもそう思う。
どこに地雷があるかわからない。怖い。

他者の考えがどうしても自分に会わない時には、解毒する力が必要なのだとおもう。相手がそこに至るまでのプロセスを理解しつつ自分の考えは譲らない、他者の正当性を認めつつ自身の立場も譲らないことを自分に許すという生き方。正義を一つしか認めない生真面目さが自身の心を蝕む毒だとしたらそれを解毒するそんなしたたかさをもった生き方というのが、他者と衝突しつつ生き抜くのに必要なスキルなのではないかと思います。
f:id:pinza0604:20131226192104j:plain

ブログを書いていて、どこか、言いたいことにリミットをかけているな、と感じることがある。それは、モヤモヤを表現する経験値が少ないせいなのと、今まで読んだ書物の量が貧弱なのか頭の中に蓄えられた語彙が少ないせいでもあるけど、自分の考えを強力に前面に押し出すのが怖いからでもある。自分の世界観が、他人から見て偏狭で滑稽なものであったらどうしようと恐怖を感じているからでもある。
俺が世界観を積極的に表明できないのは現実世界、日々の生活でもそうで、それは数年前に、自分の世界観が足元からガラガラと崩れるのを嫌というほど体験したからだ。本当に、あの時は、比喩ではなく、足元が崩れ落ちる、ガラガラという音が聞こえた。
あれ以来、本をあまり読まなくなった気がする。生活に順応するのに忙しかったせいもあるが、本を読むことで、自分の中の考えが凝り固まり、それに固執するようになることが当時は怖かったからだと思う。
友人には「つまらなくなった」と言われたこともあったが、仕方なかった。生きる為に、一旦自分を解体する必要があったし、世界が崩れ落ちるあの恐怖から一度逃げる必要があった。


それでも、最近また本を読み始めるようになった。本は読み方しだいで自分の考えをどんどん偏狭にもするが、安全な範囲で自分を解体したり、新しい視座を得ることもできるのだと思うようになったからだ。そしてなにより、いつまでも自分の言葉で世界を語ることから逃げていてはいけないと思い始めたからだ。語らざるを得ない状況になってきたからだ。

足場を崩されてもまた構築できるだけの体力が身についたら、またどんどん自分の言葉で世界を語って行きたいと思う。







何度も読み直しては加筆していったので途中途中で違う人格が入ってきていて、読みづらい文になったなと思います。
文書を書く力は、まだまったく、稚拙だと思います。