生きること

NHKのドキュメンタリーを見た。莫大な借金を背負った夫と、クモ膜下出血で寝たきりになってしまった元女優の妻のドキュメンタリーだった。夫の月収は月10万。ひっくり返ったゴキブリの死骸が夫が一人きりで生活している小さな部屋に転がっているのが大写しになるシーンがあり、生活苦を象徴しているようで印象的だった。妻が入院している病室へ出向く。昔から妻が好きだったと夫がCDで流したlet it beが胸を締め付ける。

教会で祈りを捧げる夫の姿が映される。妻が入院してから祈るようになったらしい。静かで、厳かだった。

俺の母は毎朝仰々しい見出しの新聞が配られる某宗教団体に入っていて、俺にも入信を進めるが、ずっと断り続けている。大勝利とかいうけど何と戦ってんだろうと思う。俺は、ああいう、騒がしいのが嫌いなんだと思う。

本編をちゃんと見たわけではないが、サザンが主題歌を歌っているほうの零戦の映画が嫌いだ。書店で予告編が流されていたが、嫌だと思った。何が嫌なのかよくわからないが、多分、母の誘いを断り続けているのと根本にあるのは同じなのかもしれない。誰かの物語に、大きな物語に、組み込まれる恐怖。俺は俺だ。ほっといてくれ。騒がしいのは嫌いだ。無駄に仰々しい奴とは関わりたくない。人間が生きることを、勝利だとか国家だとか義理だとか、そういうのに収斂させるのは、どうなんだろうか。違和感がある。

母の仲間が家に訪ねて来た。あいにく母は留守中だったので俺が対応した。「この本がね!!もぅ、すごいの!!この本を書かれた先生はアメリカの大学を出ててね…」と丁寧に包装された本を渡してくれた。プラス思考をすれば脳内物質が出て物事がうまく行くみたいな内容の本だった。
あのオバさんの根底にあるのは恐怖だと思う。真っ直ぐに見つめられない何かを持っているのだと思う。何かから目を背けたいのだと思う。
恐怖があると人は、やたらハイテンションになると思う。攻撃的になると思う。何かに縋り付きたいんだと思う。何か確かなモノに。
どうせ最後に人は死ぬ。それを認めたくないのではないか。それを認めないような無邪気な楽観思想は、所詮世俗的で薄っぺらいモノにならざるを得ないのではないか。

伊坂幸太郎の週末のフールを読んだ。地球が終わるにも関わらず、ボクシングを続ける男の話が印象に残った。
坂口安吾の堕落論を読んだ。空中ブランコに必死に無我夢中で取り組む男の話が印象に残った。
生きるって、そういうことじゃないのかと思った。



宗教の持つ謙虚さ云々は別の話として、人が祈る姿は、1人で個人的に祈る姿は、綺麗だと思う。試験を受ける前日に母が私の家に来て身の回りの世話をしてくれた。寝る直前に、受かるように手を合わせると母が言って、フローリングに正座し、姿勢を正し始めた。俺は、やめろと言おうとしたが、手を合わせて祈る母の姿を、一種の神聖さと穏やかさが表出した母の横顔を見て、あぁ、止めないでおこうと思った。


命を、国のためだとか、家族の為だとかに投げ打つことを、周りが神聖化し、崇めるのが嫌いだ。
そんなものは個人的なもので、他人であるところの人々がどうこう言うべきじゃない。
その尊さを言語化したとたん、陳腐なモノになる。


生きるというのは、美談ではないと思う。汚いモノだと思う。堕落論を読んだからか、今日はそんなことを考えていた。道徳や武士道というのは、人を締め付ける非人間的なモノに見えるが、人の汚いところ、極めて人間臭いところを知り尽くしたからこそあぁいう締め付けが出来るのであって、そういう意味では極めて人間的であるらしい。だから、純粹に人間の美談を信じるのは片手落ちなのだろう。

ドキュメンタリーを見終わり、余韻に浸りながら、この夫婦に安直に同情するのは、ダメなんだろうと思った。恐らくあの夫婦はこれからも苦しみ続けるのだと思う。奇跡なんて起こりやしない。それでも生きる。


知り合いの知り合いくらいの人が自殺した。人間関係に起因する自殺だった。俺は、逃げだと思った。死人に石を投げる行為は良くないかもしれないが、逃げだと思った。そいつの立場に置かれてみろ、そいつの気持ちがわかるかと言われれば黙るしかないが。

人間を生かすのは、大義ではないと思う。立派な志ではないと思う。生きるのは一見すればドロドロしてて、綺麗なんかじゃなくて、立派なんかじゃなくて、そんなもんだけど、生きなきゃいけないんだと思う。

俺だって、こないだまで死にたい死にたいとか言っていたが、最近は、少なくとも今は、別に死にたくなんかない。それは、生きることの不完全さを、なんとなく理解して、受け入れられるようになったからだと思う。他人の不完全さを。そして自らの不完全さを。受け入れられたからだろうか、この世が好きだと感じるようになった。今までは軽蔑してたような人間臭さも。道徳を振りかざす人は本当はこの世が嫌いなんじゃないんだろうかと思うようになった。嫌いだから、道徳を振りかざし、人を締め付け、時には他者の為に命を棄てることを強要したりして、この世を否定せざるを得ないのではないのかと思った。


生への執着は綺麗ではないかもしれないけど、それは、陳腐な表現だが、尊い、そして、愛おしい、そんなモノだと思う。俺は、世の中が、嫌いじゃない。