自分語り

小学生の頃、下校時間を過ぎても説教を続ける壇上の担任に向かってよく呪詛を吐いた。もちろん気づかれないように、だ。口の中でぶつぶつと気づかれないように。あるいは机の下面の冷たい金属に呪いの言葉を指でこっそりなぞったりした。早く終われと念じながら。
学校はまるで我等が天下だと言わんばかりの、血の気が盛んで声のデカイ同級生達に言いがかりをつけてはボコボコにされたりもした。

誰かを強制的に命令に従わせる力を権力と呼ぶのだとしたら、俺はそれを振りかざされるのが嫌いなんだと思う。それは特定の地位についた人物に制度的に与えられたり、力を持つ集団に自然発生的に与えられたりするが、とにかくそういうのが嫌いなんだと思う。
キラキラしているものや、溌剌とした人、影響力の強い人、リーダー気質の人に対して私はヒネくれた感情を持つことが多いように思う。そういう人やモノは、周りの人を吸い寄せ、人が集まると、不可避的にそこに属する人々は力を持つようになる。その力をもってして押し付けられることが幼少の頃に多かったから、そのようなモノに対して批判的な感情をもつことが多いのだろう。
チカラは、権力は、正しさは、集団は、怖い。
それをしてお墨付きを与えられる思想や慣習が怖い。

昔から、結束力の強い集団に属することは苦手であったように思う。集団に属することで、命令に、慣習に、思想に従わざるを得なくなる恐怖。嫌でも逃げられなくなる恐怖。思考と身体を拘束される息苦しさ。自分が納得するしないに関わらず行動をしなければならない気持ち悪さ。



そういえば、肥満児であった俺が全く運動しないのを心配して親に半強制的にサッカー部に入れられたことがあったが、すぐに辞めた。部活動中、俺の意識は練習には向けられずに、空想の世界を飛び回っていた。「こんなにやる気が無いなら、ゴールデンウィーク中は練習しなくていい」という監督の反語を真に受けて、「ゴールデンウィークは部活無いんだってさ!!」と父に伝え、大喜びで連休中の練習を休んだ。
もし俺がサッカー好きで自主的に練習もするような人だったら、あるいは集団で行動すること自体に一種の安息を得られる人であればそのうちサッカーにも楽しみを見出して部活も続いたんだろうが。


今でもそうだが、日常的に、ボケッとしていることが多い。父親にはよく、愚鈍だと、呆れられた。そんなこという父親もどちらかというと俺のような空想気質で、だからこそ、自分の幼少の頃を見せられているようでイライラしたらしい。

俺はどちらかというと、岩の下の、湿った土の中に居るダンゴムシのような人物なんだと思う。暗い土の中でゆっくり安息を得たい。陽が当たり、視線に晒されれば、多分、逃げ出す。
犬か猫かで言えば、猫に近いと思う。どちらかというと、1人で気ままに暮らす方が好き。干渉されずに、1人で、好きなように。

愚鈍でトロく、集団行動が苦手な反面、一旦強く興味を惹かれるものには異常に執着する傾向がある気がする。
中学くらいまでは飛行機オタで、毎週一回、エアーバンド(航空無線を受信できるラジオ)を持って空港へ出向き、展望デッキから一日中飛行機を観察していた時期がある。空港へ離着陸する飛行機を観察するだけで半日は潰せた。特に着陸が面白くて、侵入角度や接地点、侵入する時のフラつきを観察しては面白がっていた。航空機の交信にはテンプレがあって、それは全部暗記していた。離着陸時のコックピットでの操作手順も、そういう雑誌を買って暗記していた。

1人でなんかに熱中するのが好きなんだと思う。