逃げ場無し 帰る場所

このまんま会社に行かずに反対方向の電車に乗って行けばどうなるの、と薄い青っぽい生地に水色のストライプだか水玉だかの模様が入った丸襟つきのワンピースを着て白い帽子を被った少女が駅のホームで考えている。向かいのホームとこっちの屋根とで挟まれた空からは、おおかた晴れといってもいいが快晴とは言えない、冬特有の、寂しい気持ちになる太陽の光で照らされ、全体満遍なく明るいが、白い雲で7割占められている、こっちの世界のここ最近の空模様と同じ、そんな空が見えていた。女の子はいつもと反対方向の電車に乗っていった。

今日見た夢。女の子が行く先で何をしたかは覚えていない。確か最後には田舎の海沿いの街に行ったのは覚えている。楽しそうなことをしていたのはうっすら覚えている。フワフワした絵柄だった。羽海野チカの絵柄に近かったかもしれない。自由だなぁ、素晴らしいなぁ、と夢の中だったか起きた直後だったか忘れたが、それを見てそんな風に感じていた。

いつも日常に縛られるのがいつでも嫌だった。壇上の人は威勢良くなにか檄を飛ばしていたが、何を言っていたのか覚えていない。というか聞いていた当時も理解はしていなかった、頭では理解していても、ストンと腑に落ちる、そんな話では無かった。ただ、やかましい、だけ。その人は笑顔であったと記憶しているが、その人の笑顔はとても硬く、どこか奇妙で不気味だと当時の私は感じていた。人が笑う時は、くしゃっと顔が"崩れる"とか、破顔だとか表現する様に、顔の筋肉がどっちかっつうと緩む筈だ。それとは真逆を地で行くその人の顔は笑っているというより顔面を意図的に操作し仮面化していると表現したほうがしっくりくる。笑っているのは皮膚の表面の見た目だけの話で、それはそういう意味での笑うってのとは違うハズだ。そもそもその場に参加している私も、身体に会わない服を無理矢理着せられているようなそんな気持ち悪さを感じさっさと逃げ出したいと思っていた。日常だってそうで、学ランの詰襟は、戦場で下を向かせないために施された軍服の襟がもともとの起源だと現代文の先生から聞いたが、そんな日常。それに嬉々としてついていくタイプの人間がいることが信じられない。彼らの中身はどうなっているのか。表面だけ取り繕っているのならば、まだわかる。本当に心の底からあんな風なのだとしたら、それはもう俺には理解出来ない。自分より強く、大きいものに自己投影し、追従する、それは安心するし、自分も強くなった気がするモノだが、自由を奪われていることに何故気がつかないのか。
子供の頃は世界は未知とロマンと新鮮な驚きだらけだった。リューシカリューシカを読み考える。今は、「まぁ、こんなもん」となんとなく世界にこれ以上開拓出来るとこなんか無いそんな気分になっている。往復するだけの日常。直線状の生活圏。そこを通う足取りに迷いは無いが、その迷いの無さがたまに不安になる。目的地を真っ直ぐ指し示す足の先を何ラジアンかでもズラした行き先に何かがあった可能性が存在したのではないかと。




夕食を食い、近所のケーキ屋で買ったそこそこ高いケーキを紅茶とともに頂いた後、脳に靄がかかり、身体がズーンと重くなった。横になる。身体にかかっていた重力が解放され楽になる。あぁ、これは今日はもう寝た方がいいなぁと思い眼を瞑る。すごく安心する。黄金のまどろみであることよ。ゴールデンスランバーだなぁと脳内BGMが流れる。ビートルズじゃなくて斉藤和義だ。そのまんま3時間程寝た。夕寝だ。

恐ろしい夢を見た。
何処かのファミレスを貸し切り北朝鮮の偉い人達が交流会をしている。俺はメタルギアのスネークみたく、ファミレスの通路を巡回する下っ端に見つからない様に匍匐前進とかしながらそれを偵察する。見つかる。どうにかして家に逃げ帰るんだけど、絶対に追っ手を差し向けて来るだろうし、周りの通行人とかがもう全員敵にしか見えない。とにかく車を運転して逃げる。いく宛もないが取り敢えず北の方角へ車を走らせる。国道を飛ばす。やたら渋滞して周りは車だらけだが、いつ追っ手が来るのかわからないから心細い。テールランプの赤い光の列がやけに眩しい。ネットカフェを点々とする。国道沿いなので常に周りに人は多数いるのに、常に心細く、寂しい。そんな夢。

なんだこれ。寝る前にゴールデンスランバーなんか歌ったからこんな夢見たのか。しかし荒唐無稽の夢っぽいけど、この心細さは身に覚えがある。たった1人で世界と対峙しなければならない、その心細さと寂しさと不安。




活動し続けるにはずっとぶっ続けで突き進んで行ったら死ぬ訳で再生産の場が必要になる。常に1人だけで道を切り拓いていくなんて、出来ない。帰る場所あってこその旅だ。絶対的に安心できる居場所あってこその旅だ。俺は馬鹿なのでその辺のとこを無視して突き進んできた所がある。今は一人暮らしだが、そういう、再生産の場を作ることの大事さを最近痛感って程では無いけど、感じている。そういう場を作るにはどうしたらいいのか。実家に帰った時の様な安心感を感じる場所を、つくるにはどうしたらいいのか。そもそも今住んでるアパートの一室は俺にとって帰る場所ではなかった。あくまで仮住まい、そんな場所に図らずしもなってしまっていた。それで持続的な生産性のある生活を送れるはずがない。いつも、ガリガリ自分を削って燃焼させることで前に進む、そんな生活だった。



今日はもう寝よう。