ザルの脳味噌

日々色んなことを考えている、気がする。気がするというのは、考えたら考えただけ、考えた内容はキレイさっぱり忘れているからだ。脳味噌の中身が川のように流れ出す。まあある程度ならタグ付けして後からでも思い出せるんだけど、そんなん一日に考えることの数パーセントだ。まぁ別に大したことを考えてるわけじゃなくてほんとにとりとめの無いことなんでしょうけどというか、私は風呂がめちゃくちゃ長いんです。シャワーヘッドを首筋に当ててちょうどいい具合の温度のお湯をざばさば垂れ流し虚空を眺めること15分とかザラです。一人になるとまじで脳内思考が糸の切れた凧のようにいく宛も無く彷徨い続けるわけです。多分その間に私はニヤニヤしたりしてるんでしょうがなに考えてたのか全く覚えてないです。そういや最近ジョギングで小学校の近くを通ることがあったんですがちょうど下校時間だったらしくて児童がたくさんいる。そしたら児童の一人があいさつしてくるんですがその目は明らかに不審者を見る時のそれで私は、あぁ、俺不審者なんだ、と嬉し恥ずかし穴があったら入りたいってなったんですが、まぁ幼少の頃から少しずれたとこがある子供で、担任の女教師がクラスに説教している時にクラスを抜け出して外に遊びに行って、てか一応休み時間ではあったんですが、それで大目玉をくらうような、そんなカンジでして、最近は親も俺の社会不適応っぷりを心配し始めていまして、ちゃんと生きていけるのかと、ちゃんと身の廻りのことが出来るのかと、かなりだらしない性格でして、まあ、なんとか生きていけるでしょう。

部屋を常にすげー綺麗に保つ人とかいるじゃないっすか。あぁいう人達は何をモチベーションにして部屋の掃除してるんですかね。一時期俺の中で部屋をちゃんと綺麗にしようキャンペーンみたいなのやってたんですが、部屋を綺麗にしてもしばらくしたらまた汚くなるじゃないですか、また綺麗にするじゃないですか、汚なくなるじゃないですか、シーシュポスっぽいじゃないですか、岩を押し上げては転がし押し上げては転がし。部屋が綺麗になっていくのを見るのは楽しいですよ、満足感もあるし。しかしそれだけでは労力に見合わない気がします。掃除の仕方が下手なのか?例の人達ってのは、多分そんな刹那的な快楽を探求するために掃除をしているわけでは無いはずだ。そんなんで持続性がつくはずがない。部屋を常に綺麗にすることの美学、哲学、とか。そこら辺を見出してるんですかねー。そこに部屋があるから、綺麗にするのだ、くらいのレベルまで、部屋を掃除するってのが身に染みてるんじゃないか。まぁそれとは話変わるんですけど、今日部屋を掃除したんですが、俺全く部屋にある物品を把握してませんでした。段ボールの奥にしまってある存在の忘れさられてた本が出るわ出るわ。"わー懐かしー"って、それはそれで楽しかったんですが、それじゃ駄目だろう。部屋にあるものは常に把握しとかないと、宝の持ち腐れになる。既にあるものを何個も買ってたりとか、無駄もでるんですよね。ww2のエースパイロットの坂井三郎は絶頂期には愛機の零戦と自らの身体が一体となっている感覚、右手の先は零戦の右翼端、左手の先は左翼端、額はプロペラのスピナーと一体化している感覚を持っていたそうですが、部屋にもそんな感覚を持てればいいんじゃねーかと。ここの部屋に越してきてそろそろ3年になりますが、今までは何と無くこの部屋は私にとっては、帰るべき場所ではなかったんですよ。あくまでホームは実家で、この部屋は出張所みたいな。でもまあそろそろそんなことも言ってられないかなと。ここに根を張るべきだろうそろそろと。本当ここ数年は浮き足立ってたからなあ。