"世界は、たとえようもなく豊穣なんだ"

実家。10畳ほどの広さの仏間兼寝室は、週二回、折り畳み式のテーブルが並べられ、小学生向けの学習塾に変わる。学習塾といっても、ゆるい。進学塾のようにみっちり教え込むことはない。子供達がそれぞれ学校の宿題を持って来て、各自でやる。わからない所があれば、聞きにくる。そんな感じだ。塾というより、子供達を預かる学童保育園に近いかもしれない。

教室の隅に置かれた机の椅子に腰をかける。教室を見渡す。皆、騒いでいる。勉強にそれなりに集中しているのは、6人中2人くらい。

いや、それが普通だ。勉強をして知的好奇心を満たすことに喜びを見出していたり、中学受験でも控えてなければ、小学生はこんなもんだ。それ以外の小学生は、強制的に勉強させない限り、こんなものだ。

私の他にもう1人、先生役の大人がいた。50代くらいの女性で、小学校教師の経験があるらしい。彼女が怒鳴ると一旦は静かになるが、十数秒もすればまた元通り。

小学生の相手をすると、消費する体力が、ヤバイ。半端ない。
会話はキャッチボールに例えられるが、小学生とのそれは、どこにボールが飛んでくるのかわからない。
小学生は、360度好き勝手な方向にボールを投げる。小さな身体の中に、とんでもない密度のエネルギーを蓄えているからだ。
我々大人は、身体が大きい分、身体の中のエネルギーの密度が低い。
だから我々大人は、子供の、全方位無差別全力投球を全て拾いに行こうとすると、死ぬ程疲れてしまうのだ。真正面から相手にしてしまうと、疲れ切り、余裕が無くなり、たまにマジギレしてしまうのだ。
だから、小学生の相手をする時には、向こうがたまたまこっちの方向にボールを投げて来た時だけ相手をしたほうがいいと思う。
同じ目線に立って、真正面から相手をしていたら、死ぬ。
いや、可愛いんだけどさ。屈託なくて。



「ちょっとこの子の面倒見て欲しいんだけど」
元教師が、さっきから騒いでいる生徒の1人を私の所に連れて来た。
「これをさせて」
プリントを持ってきた。
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このタイプの問題が、裏表合わせて6題載ってるやつだった。


子供は、ほっとけば四方八方に移動を始める。
とりあえず物理的に身体を拘束しよう。
その子を膝に乗せ、後ろから両手を回し、その子の左右を塞ぐ。
「よし、じゃあ先生と一緒にこのプリントを解こう。」
これで物理的には、移動出来なくなる。

次に、どうにかして学習意欲を高められないかと考えた。プリントを見る。問題の右上に
"_分_秒"
あぁ、時間を計ってやるのね。
んじゃあ、如何に早く解けるかっていうゲーム性を取り入れてみよう。
「じゃあ、時間を計って、どんくらい早く解けるかやってみよう。」

で、ストップウォッチを使って解かせてみた。

二題程解かすと、楽しくなって来たらしい。膝の上で抱え込まなくても、移動しなくなった。それどころか、自主的に問題を解くようになった。問題をこなしていく度に、解き終わる時間が短かくなっていく。
6題全部終わった。解く時間を短縮できたことを褒めると、その子は得意気な顔をして自分の席に戻った。
勉強へのとっかかりとして、ゲーム性を取り入れるのはアリだな。



この間、finalventさんの「考える生き方」を読んだ。その中で、リベラルアーツについて語っていた。人生の敗北者であっても、貧しい生活でも、学ぶことで人生は豊かになる。」って部分が印象に残った。
それとnakamurabashiさんが言ってたことを思い出した。
俺はね、こう思う。勉強ってのは、世界の秘密を解き明かす鍵を手に入れるために必要なものだって。(中略)暗記ちょうつまんねぇ。つまんねぇんだけど、ひととおりそういう知識を習得したときに、おぼろげながら「あー世界ってこんなかたちにできてるのかなー」なんてことを思うことができるようになる。あとは自分で本読んだり。(中略)いやいやでもなんでも、そうやって「わかる」ことが少しずつ増えていくじゃん。いまのおまえは小学生のころよりもいろんなことをわかってる。そうやってわかることを増やしていくと、いつかこの世界には、信じられないくらい「わからないこと」がたくさんあるって気がつくときが来るんだ。知らない場所に行くと楽しいだろ?見たこともないものを見るとおもしろだろ?(中略)わからない。広い。これがどんだけわくわくすることかは、いまのおまえにはまあわかんねーだろうな。すごいんだよ。死ぬまで退屈のしようがねえんだよ。社会は、世界は、こんなふうにできている。そう思った瞬間から、もっとわかんねえことがちらばっている世界がばーって広がる。勉強するっていうのは、その「広い世界」の入口に立つことだ。ドアを開くことだ。開いたら、わーっとそこから景色が広がってる。どこまで走っていったっていいんだ。勉強ってのは、そのときの景色を見るための双眼鏡だ。足元を掘るためのスコップだ。そういう道具があるっていうことを知ることだ。あらゆるつまんねー数学、化学、物理、歴史、すべてがそこにつながっている。(中略)世界は、たとえようもなく豊穣なんだ。       "G.A.W     2012/6/9    「ついでに俺も勉強がなんの役に立つか考えた。」"
他の生徒が、質問をしに来た。分数を小数になおせないらしい。一通り説明したあと、問題を解かせた。なかなか解けないらしい。悔しそうな顔をしながら必死で考えていた。この生徒もさっきまでは騒いでいたので、これはいい徴候だと思った。

子供達に勉強をさせる時には、怒鳴るなどして心理的に負荷をかけてやらせる方法はなるべくとりたくない。
どうにかして、自主的に取り組むようにさせたい。勉強は、面白いもののはずだ。

ゆくゆくは、子供達に、知的好奇心を満たす喜びを知って欲しい。