死への延長線(戦)

祖母に薬を飲ませる。祖母は眼が見えないので、私が薬を祖母の口まで運ぶ。
粉末状の薬が全部で五袋。 一袋飲ませる度に、アルミの袋の端っこの硬くて薄い、剃刀のような部分が祖母の小さな口の端に当たる。お年寄りの、しかも口の端というとりわけ皮膚の薄い部分には負担が大きいかもしれない。一袋飲ませ、休ませ、また飲ませる。なんだかキツそうだなと思った。四袋目を飲ませたところで、
「何でこんなにたくさん薬を飲まないといけないの。。。」
わかる。キツイよね。キツイのに無理矢理生かされてるってカンジがするよね。
俺も最近、生きることはしんどいのにそれでもなんで生きなきゃいけないんだ、なんて思ってるよ。


向かいのベッドでは、鼻の下にチューブを付けた、80歳くらいと思われる老婆が眼を瞑っている。普通、寝ている人からは、深く落ち着いた呼吸の音がゆっくりとしたリズムで聞こえて来るが、その老婆からはそのような呼吸音が聞こえないので、眠りに落ちているのか、ただ眼を瞑っているのかはわからない。ただ、同じ姿勢、同じ表情で、30分は経っているので、多分寝ているのだろう。

この部屋は、死へと向かう直線の上にある、と思った。
iPhoneを手にとり右手の人差し指で電源ボタンを押し、液晶画面の下部で左から右へと親指をスライドさせ、その流れで数字を四桁入力してロックを外すとホーム画面が現れる。最近ハマっているアニメのキャラクターが、瓦屋根の上に寝転び、アンニュイな表情で空を見上げている。20代くらいの女性だ。

祖母の顔を見る。祖母にも、若かった時代があったのだなと思った。シワが彫り込まれた顔の奥に、祖母が若かった頃の顔を想像してみた。

向かいの、お年を召した女性を見てみる。この人も昔は若かったんだ。灰色に近い白髪が、ライオンのタテガミのように生えていた。今は口を半開きにして眠っているが、眉間に皺を寄せたその目つきから、若い時は気の強い女性だったのではないかと思った。元バスケ部で男勝りな、ローライズのスキニージーンズが似合う知り合いの女性を思い出した。このお年寄りも昔はそんなサバサバ姉御系の人だったんじゃないかなぁ。


そうやってお年寄りの方々の若い頃を想像しているうちに、この部屋の住人が歩んでいる道の延長線上には死が待ち受けているのだと思ったがそれは今はまだ若い私も例外ではないのだと気がついた。私も死へと向かう道の上を歩いている。今まさに。

そう考えると不思議と楽になった。別に無理をして頑張るような生き方をしなくても良いのだと思った。清く正しく美しい足どりで道を歩く必要は必ずしもないなと思った。さっきまで頭の上にズシンとのしかかっていた重荷と、脳内に充満していたモヤモヤがいつの間にか消えていた。


ツイッターのアプリを開く。フェミニズム云々で、若い女性と匿名の人が、揉めていた。
いつもならそんなイザコザを見ながら色々と考えて頭が疲れてしまうのだが、今はそれを見ても憂鬱とした気分には不思議とならない。好きにすればいい、と思った。好きに生きればいいと。何だか懐がでかくなったような気分だった。
別に、人から嫌われたって、横道に逸れたって、人と揉めたって、とんでもない間違いを犯したって、誰の記憶にも残らない人生を歩んだって、いい、全て、良し。







祖母は薬を飲む時に水を飲みすぎたのか、全ての薬を飲んだ後、二十分の間に二回、トイレへ行った。その度に私が介助しなければいけない。
祖母をポータブルトイレまで抱えてき、祖母のズボンを下ろし、便座に座らせ、用を足すのを待ち、終わるとズボンを履かせ、またベッドへ連れて戻る。
祖母をベッドに寝転ばせ、尿意がひと段落したのか、落ち着いた表情になった頃、兄が私を迎えに来たので、祖母に挨拶をし、病院を後にした。




兄が運転する車の助手席に座りシートベルトを閉め、腕を組んで眼を瞑った。
この後、母が営む学習塾の手伝いをしなければならない。


疲労を感じた。少し寝不足かもしれない。これ以上疲れないように、私は思考を停止させた。