生と死

どこで誰から聞いたか忘れたが、人が成長するためには一回死ぬ必要があるらしい。一回死んで、生き返る。
バヌアツでは成人の儀礼としてバンジージャンプが行われる。疑似的な死を体験するためらしい。実際死ぬ時もあるけど。
隠れん坊は、社会的な死と再生の予行演出なのではないかと述べている文書を読んだことがある。隠れる=社会的な死、鬼に見つかる=この世へ復帰=生き返る。
2009年のセンター試験国語の現代文解説 小1から楽しく書ける。作文、読解、国語の通信教育。Online作文教室 言葉の森

日本での就活や入試なども、もしかしたら同じ様なものなのかもしれない。

そういえば、イライラしている時に、眠ると生まれ変わった様な気分になる時がある。これもそうかもしれない。
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酒を飲み、酔っ払うこともそうなのかもしれない。酔っ払うことで死を疑似体験しているのではないか。

私は、泣き上戸だ。散々酔っ払っい、普段は心の奥底にしまっている(自分ですら気付かない)自分を周りに曝け出し、迷惑をかけた後、あるいは自分一人で散々泣いた後、酔いが覚め、自己嫌悪と共に、どこかスッキリした気分になる。古い自分を自分を含めた周囲の人間に曝け出すことで自覚し、新しい自分に上書きすることで、死と生を疑似体験しているのかもしれない。

諸事情あって今引き篭もっているんだけど、これもそうなのかもしれない。私は引き篭もる事で過去の自分を殺し、ブログの記事を書いて読者という「鬼」に見付けてもらうなどして新しい自分を作り再生を試みているのかもしれない。