娑婆

娑婆っていうのは訳がわからない。不意に、全く意図していない時に悪意を向けられ、正論を振りかざされ、たまに悪者にされる。
そんな時は、自分以外の人間が滅びればいいとか思う。インフラだけ残して。

明るく、前向きなものがいつでも正義だ。

道に落ちてる、酔っ払いが吐いたゲロみたいな物は、悪だ。

臭い物には蓋をされる。

私は、どうしても前向きなモノを無邪気に受け取ることが出来ない。
明るく、前向きなモノは健やかで、穏やかであるが、胸にざらつきが生じないのだ。胸に引っかかるものがないのだ。健やかで、穏やかなモノだけになってしまったら、生きている実感が湧かないのだ。心がざわつかないのだ。
綺麗なモノ、健やかで穏やかなモノを否定はしない。それは美しいと思う。
ただ、それだけではないと思う。
酔っ払いのゲロもまた世界の一部だ。生きることの一部だ。
中2病や深夜ラジオや匿名ダイアリーもまた生だ。弱さや老いもまた。卑怯さや卑屈さや下劣さもまた。ボコボコにされることもまた。ネットに溢れる悪意もまた。正論を語るドヤ顔もまた。私が否定しているものもまた。

ありとあらゆる生は相対化され、悪意の対象になり得る。

ボコボコになりながら生きて行こうと思った。ゴミを発酵させてブチまけてやろうと思った。糞食らえと思った。